『新しい哲学を語る』

saikaku2006-04-05

余りにも高い高層ビル、それがあっても、その最上階まで登ってみようとは、余り思わなくなっている、眺望が凄いのかもしれない、でも、そう、一回は試しに登ってみる、そんなことがあるとしても、登るといっても、多分高速エレベータで、それも面白くないという、そんなことの一因になっている、そう、カントの哲学とか、ヘーゲルとか、まあ、そんなふうに思える、それはそれで立派なものなのだろうが、でも、その高みに至っても、どのような眺望が得られるのか、雲海だけのこと、それだけのことなのかもしれないし、その、しんどい思いをしていくこと、そのことが、その展望の素晴らしさによって報いられるものなのか、高層ビルということよりもバベルの塔、そんなことを思わせる、いつかは崩れ去る、そんなこと、廃墟としてしか残らない、なんだったのかと、マルクスにしてもそう、まあ、人間には理性があるということ、その証明にはなっている、どこまでも、高く積み上げていくことが出来る、そのような知識、それを持っているという、そのようなことを示した、と同時に、また、壊れる、崩壊するということも、それもあるということ、そう、そのようなこと、誰だったか、石を山の上まで運んで、また、転がされるということを繰り返していたのは、その、同じことを繰り返している、また、その労働が、単なる軛にしかなっていないという、また、賢くはないという、そんなことを思う、高みに上らなくても、今、桜が咲いている、それだけではなくて、名前も知らない木に、いろんな花が咲き誇っている、そのような季節になっている、或いは、その、西行の気分で歩いていく、そのようなことも出来る、そのようなことの方が、そして、その情景、それを詠んでみる、そのようなことの方が、何か、生き方の真実さ、それがあるようなことを思う、その、理性ということ、それによって、何かを積み上げていく、不完全性ということも、同時に織り込んでいきながら、そう、そのことが、崩壊するという、その因子になっていくということも、そのような仕事、それもある、でも、情感からのこと、そのような仕事、というのか、或いは、表現活動というのか、そのようなこともある、その、どのようなところから始まっていくのだろうかと思う、拘りということもなく、ただ、その、自己を表現していくという、そのようなところのこと、苦しみの元というのは、同じことが続いていくという、定常状態にあるという思い込み、そのようなところ、変容していくという、そのことへ切り替えていけばいいという、そのようなこと、でも、まあ、そのことは難しいことだと思う、ただ、まあ、平坦なところであっても、広く歩いていくことは出来る、そのようなことは出来る、そして、いろいろなものに出逢う、そんな季節になっている、それを楽しむということも、できる。