『量子力学入門』

saikaku2006-04-06

もっと自由に本を、その、読みたい本だけを自由に読んでいけばいいものを、何故か、固定化してしまう、そのような方向になってしまう、その自由度を失っていく方向へ進んで行ってしまう、携帯する本は3冊に決めてしまうとか、その読む順番を決めてしまうとか、そして、その3冊の中の1冊は物理の本にしていくとか、量子力学のことについてもう一度勉強していこうとか、もう1冊は借りてきた本にしようとか、そして、残り1冊の自由度、そんなことになってしまう、何故か、固定化してしまう、これでいいのではないかという、そんなことになっていってしまう、その、巧くいっているということを、そのことを塗り固めていこうとしている、でも、そのようにしてしまうと、息苦しさ、そして、読みたくなくなってきて、酒を呑んでしまおうとか、そんなふうに生活のリズム、それが崩れていってしまう、そう、そんなことになっていってしまう、これが今までのパタン、そう、酒を呑みたくなったら、何か、その生活のあり方、そのこと、基本的なところのこと、そのところに無理が生じているということ、そのことが分かってきていたから、今回も、そう、どうにか、そこまでは行かずに済んでいる、でも、どうなんだろうかと、物理のこと、その勉強ということを、その関連の本を読むということ、それを本当に好んでいるのかどうか、好んでいるのか、そう、おそらくイエス、でも、その、本を読んでいくこと、或いは、そのことから、自己を表現していくこと、その生活の基本形にとって、大事なことは、その、熱中していけるのかどうか、没頭していけるのかどうか、多分、このところのことに、このことにポイントがあるのではないかと思う、その、固定化してしまう、巧くいっていること、確かに、固定化する前は巧くいっていたと思う、そして、そのことを固定化する、と、具合悪くなっていく、その繰り返し、そう、その前は巧く行っていた、熱中していたと思う、そう、そのようなこと、読むということにおいても、その、順番どおりにということではなくて、その本に、今、手に取っている本に、没入していけるのかどうか、そのこと、途中まで読んで、次の本を読んで、また、戻って来る、ということではなくて、今、手にしている、その本、それに没頭していけるのかどうか、終わりまで、その本、どんなの分厚くても、その本の最後まで没頭していけるのかどうか、問題は、そのことだと思う、また、書くということにおいても、そう、そのようなことにおいても、今、このように書いている、このことに没頭していけるのかどうか、ただ、その、入り口のこと、メモ1枚、そのことから、書くということに専念していけるのかどうか、どうも、そのこと、我を忘れていくほどに、それぞれにことに関っていくことができるのかどうか、そのことが要諦であると、そう感じる。