『マリアンヌの夢』

saikaku2006-04-08

犬はどのように知覚しているのだろうか、色盲と言われている、どうしてそのようなことが分かったのだろうかと、その、犬の視覚細胞、それがどのような構造をしているのか、或いは、どのような物質が含まれているのか、それを分析する、そんなことから分かってきたのだろうかと、或いは、色盲の人間との比較、そんなところから、色盲という、そんなことになってきたのか、でも、本当に色盲なのかどうか、どの程度に見えているのかいないのか、そのことはわからない、多分、今までの、そのことに関する知識、それを総合して、そのような結論に達しているのだろうが、でも、本当にそうなのかどうか、それは分からない、人のこと、どのようなことを感じているのか、同じ物を見る、或いは、聞く、ということをしても、どのように感じているのか、感動しているということもあれば、していない、そんなこともある、でも、自分と同じように感じているのではないかという、そのような思い込み、それは持ち易い、その、対象とするもの、自分以外のモノが、本当のところ、どのようなことを感じているのか、そのことは分からない、また、自分自身が、実際、どのように感じているのか、ということも、無意識の世界において、どのような変容が生じているのか、そのこともわからない、すぐには分からない、それも、想像の世界、そんなことになっていく、その、外の世界のこと、相手のこと、また、物としてのこと、そのこと、自分の外にあるモノ全て、それがどう感じているのか、その相手の内部において、どんなことが生じているのか、どのように知覚しているのか、そのことを知ることはできない、ただ、想像するということはできる、自分との比較ということにおいて、見当をつけるということはできる、無限に接近していくだけのこと、でも、直截、そのモノ自体のこと、それを知ることは不可能、そして、自己についてのこと、そのことも、どのような変化が起こっているのか、そのことを識るということも、不可能、でも、無限に近づいていくことはできる、また、歴史はそのように進んでいる、そして、多分、外の世界を知る、無限級数的に知る、そのことと、自己について識る、そのことは同じことなんだと思う、同じところを目的地にしている、辿り着くところは同じなのだと、そんなことを思う、何か、そのように世界の構造はなっているのではないかと、外の世界での出来事、そして、夢の中での出来事、共通性を持っている、或いは、共時性、それを持っている、そして、自分の存在、その、不可知の両世界、その隘路に立っている、その隘路を進んでいく、どちらの世界へも傾くことなく、その中間のところ、それを歩いていく、まあ、そんな生き方になっていくのだろうと思う。