『モンパルナスの灯』

saikaku2006-04-10

何をどうするということでもなくて、目的地がどのようなところであるのかという、そのようなことも分からずに、ただ、このように書いているということをしている、書かずにはいられないという、そのような衝動が強いということでもなく、ただ、生活の基本形として、このようなことを行っている、一日一日のこととして、このように行なっていく、そう、このようなこと、酒を呑む、それを土曜日だけのことに出来ていくのかどうか、まだまだ、その弱さ、それを抱え込んでいる、ただ、早朝に起きる、このようなことができれば、得をした気分になるということも確かなこと、そして、多くのことが、書ける、表現できていくということも確かなこと、三文という以上に価値がある、何か、ということ、その、どのようなことになっていくのか、そのことが明確なことではないということが、このように表現していくことが、どのようなことになっていくのか、そのことが確かなこととして分かっていない、でも、必要性、日々の必要性、そのことは感じているとしても、その、何処へ至るのか、何か、そのことが明確なことであれば、そう、邁進していくということにも、そんなことにもなっていくのではないかと、でも、まあ、そのことがいいのかどうか、スローな生き方、まあ、そのようなことでもいいのではないかと、そのようなこと、或いは、敵対する、対立する、そのような人間関係ということでもあれば、その、自分の考えているところのこと、そのことを明確にさせていくということ、そんなことにもなっていくが、そのようなことも起こってはいない、そう、そんなことにならない、その、ただ、自己に閉じていくような、そのようなことにもなっていく、それも、また、違っている、そのようなことも違っている、ただ、間違う、踏み外す、そんなことはありながら、その、昼間のところ、隘路、そのことが逸脱していくということはあるとしても、まあ、軌道修正、それを常に行って、その、どちらにも偏らず、その、歩んでいくことができれば、そのようなことであれば、いいのではないかという、そんなことを感じる、この映画も、モリディアニ、その人を描いた映画だとは知らなかった、前にも違う映画を観ている、その、影の存在ということが、そのような人物が出て来ること、そのようなこと、その、自分自身の生き方、どうにも、そのことに影響されていく、そんなところがある、現実のこと、或いは、架空のこと、そのことが判然としなくなっていく、そんなところがある、ただ、深み、それは増していく、その、影との対立ということ、そのこと、ただ、日本人には、その、影ということが、幻日の中でのことのように、曖昧模糊としている、その、影自体、明確なものにはなっていかない、そんなところがある。