『あたたかな気持ちのあるところ』

saikaku2006-04-12

まだ、生活のあり方、新年度が始まってからのこと、まだ、落ち着いているわけではない、どのように本を読んでいくのか、平日のこと、そのことについても落ち着いているというわけではない、その、本を読むこと、どのような本を読んでいくのかということ、そのことについても、それぞれの場に相応しい本があるのかと、場と本の内容との関連、そのようなことを感じる、村上春樹の世界、そこへ這入って行くことが、何処でもできるというわけでもない、井戸の底で読む、そのような場所がいちばん相応しいのかもしれない、ある程度、その、閉じられた場所、邪魔されない、干渉されない、また、見られているという、他人の目を気にしなくてもいいという、無防備で居られる、そのような場でこそ読んでいくことができる、そう、そんな感じがしている、その場に相応しい、そのような本、本が読めるのか読めないのか、その内容ということだけではなくて、どのような場で読むのか、そのことにも関連している、そう、そんなことを思う、まだまだ落ち着かない、そんなことになっている、その、受け容れていくことにおいては、どうしても、そのとき、門が開いている、そう、或いは、無防備なことになっている、毒、としてのこと、それも摂り入れてしまうのかもしれない、ある程度は含まれている、そんなこと、そのこと、何か、毒というか、その、異質なもの、そのものを受け容れていく、そして、変調を来たす、余りにも大きな変調であれば困ったことにもなっていくが、その、許容可能な程度のこと、そう、それは、自分への変化を齎す、そんなことになっていく、或いは、その場に相応しいということ、言い換えれば、やはり、集中していくことができるのかどうか、その問題なのだと思う、そう、自己との対話、そのような状況に居ることができるのかどうか、そのような状態、それを醸し出していくことができるのかどうか、そんなことになっていくと思う、集中していくこと、それができるのかどうか、そのようなことになっていく、今の、自分自身の生活のあり方、そのことを点検していく、まだまだ、その、落ち着かない、そう、変動している、そんなこと、でも、まあ、少しずつ、その、安定点を、均衡点を見出して行っているのではないかと、少しずつのこと、自分の思っている、思い込んでいるままに、無理矢理ということではなくて、そう、少しずつ、その、自己に合う、そのような釣り合いの点、それを見出していく、何か、そのような姿勢、慌てることもないと、また、慌ててはいけないと、そんなことも分かってきている、まあ、何とかなっていくのだろうと、その、本を読むこと、それに集中していくこと、そして、表現することにおいても、集中していけること、そのようなことができていくと思う。