『ゾフィー21歳』

saikaku2006-04-13

どうしてそこまで、真実さに生きることができたのかという、或いは、権力者、それは、何を恐れているのか、その真実さ、それに恐れているのか、その、間違っているということへの信念、言論を封殺していくこと、或いは、人々の生き方ということが、抑圧されているという状況への抵抗、外部の戦況、スタンリングラードでの敗退という、戦況の悪化、そのような状況下にあったということも無関係なことではないと思う、その生き方ということが、今も映画になる、或いは、『白バラ』という組織、そのことが描かれる、今にしても、そのように語り継がれてきている、そのこと自体、何か、そこに真実さ、人間にとっての真実さ、それが存在しているということの、そのようなことの証明であると思う、決して、その、手斧で斬首刑を執行した者、その者の生涯が描かれる、そのようなことはないのだろう、でも、それを描くということ、そのことの方が、人間の真実さ、それに向かうところの光の部分、それをよく鮮明にする陰の部分として、人間性について、その悪のこと、そのことについて理解していく、そのヒント、それが得られる、そのような気もする、でも、まあ、描かれないのだろう、誰も見たくないと、そのように思う、決して見たくないと、人と人とが争うこと、或いは、殺し合いにまで発展していくこと、戦争を行うこと、或いは、差別という問題、そのこともある、部落差別、そのことが今も言われている、昔から、そして、それに関する教育も行われてきている、長く、また、社会的な運動ということも行われてきている、でも、人間としてのぶつかり合い、そんなことは起こり続けている、何か、基本的なところの間違い、或いは、そんなところのこと、それがあるのではないかと思う、運動を継続させて行く為のこと、それがあるのかもしれない、陳腐な言葉、それが並んでいる、そう、そのような文章、それを読んでも、実際何を行っていくのか、どうして行くのか、そのことが明確なこと、そんなことにはならない、抽象的、そんなことに終始している、根本的なところのこと、人間は差別をする者、ぶつかり合う者、権力者は民衆を抑圧していく者、そのようなことを前提にしている、というか、そのような者だと、基本的に、そのようなことについては、メスを入れない、その、人間としての真実さ、そのこと、裏の面、そのこともある、いいところのこと、真実さに生きた、何か、自分自身の悪としての部分、それが明らかになるという、そのようなことへの抵抗、そんなこともあるのかと、何か、複雑なところ、それを含んでいる、でも、それを単純に見ていこうとしている、いいところだけ、そう、そのようなところだけを見たいという、そんなこともある、基本的なところ、根本的なところ、そのところまで降りていくこと、そんなことも必要なのかと。