『流れ星が消えないうちに』

saikaku2006-04-14

何か、自己との対話、直接対話、それが出来ていなかった、そんな感じが此の頃していた、そんなことになっていた、その、自己において、その感じているところのこと、そのことが直截に言葉に出来ていないような、そんな感じが付き纏っていた、そのことは、つまり、メモを見ている、本を読む、そして、メモをとる、そのメモ、それに依存したところのこと、メモを基にして書いていこうとしていたこと、今、この時間、早朝に書いている、そして、また、正午頃、書いている、そんなことをしている、そのとき、メモを基にして、それを見ながら、書いている、メモが少なければ、何か、不安になっていく、という、でも、メモがなくても、むしろ、その、ないことの方が、多くのこと、直截、自己からの言葉、それを書き留めていくこと、そんなことをしていけばいいのに、メモの厚さ、そのことを好んでいる自分が居たという、そんなことになっていた、そう、でも、日経を読んでいく、或いは、本を読んでいく、そんなことにおいて、メモをとっていくということは、その、文章を理解していく上においても大事なことになっている、そう、そんなことになっている、そのことをどう利用していけばいいのかと、その、メモを見て書いていくのなら、このような書き方、言葉にしていき方が、いちばんいい、でも、その、今、少し変えていこうと思うのは、小説を読む、そのようなことにおいても、メモ、例えば、登場人物、誰なのか、当然メモをしている、そのことをみて、図式化していく、そんなことができるのではないかと、そのようなことを行ってみること、本を読む、そして、メモをとる、メモのとり方、当然変わっていくのだろうと思う、そして、本を読了した、そのとき、メモを見て、その内容を図式化していくという、そのようなこと、右脳へ訴えかけていくような、そんなことを行なっていく、そう、そのようなことを蓄積していく、そして、今の時間、或いは、正午において、PCを前にして、自己との対話、そう、そのことを行なっていく、そのイメージ、それを文章化していくという、そんなことでいいのではないかと思う、そう、そのようなこと、図式化するということ、そのことは、そう、パーソナルなことだと思う、他者が図式化したもの、その図柄が、自分にとって意味を持っているということは、余りないと思う、何か、その図に込められた、その意図、それを感じとっていくということ、そのことは、図ということよりも、何か、文章、一筋の文章、尊ことによって、相手のイメージ、それを理解していく、時系列のこと、そのようなことだと思う、しかし、その理解したところのことを、自分のものとして定着させていくということは、自分自身で図式化する、そんな操作が必要なのだと思う、そして、また、そのことを経て、自己を表現していく、何か、そんなこと、相手の左脳による文章→自分の左脳による理解→右脳による図式化→左脳による自己表現、で定着、そんな図式なのだろうかと思う。