『きっと天使だよ』

saikaku2006-04-19

大まかな計画ということでいいのだと思う、何か、時間配分、そのことをきちっと決めていこうと、休日のことにしても、どのように時間を遣っていくのか、そう、時間を遣う、そのような観点から、何をしていこうかと、そのことで埋めていく、そんなことを考えていた、時間の空白を作らない、それも広場恐怖ということの時間版、そんなことかもしれない、そう、無計画ということではなくて、大まかや、そんな計画でいいと思う、基本的には、本を読む、メモをとる、そして、書く、そう、そのようなこと、でも、どのように本を読んでいくのか、どのようにメモをとっていくのか、そして、1時間で書くことを終えていくとか、何か、枠組み、それに嵌めていこうとしていく、そんなことになっていってしまう、何か、自由にできるということ、或いは、ボーっとすることができるということを恐れているような、そんなところがある、そんなことになっていると思う、今は、そのように考えていても、また、規範的なことに嵌め込んでいくという、そんなことになっていくんだと思う、基本的な、少しのルールで始まる、でも、何か、いろんな事柄、それが起こって来る、いろんな事象が生じてくる、そのようなことを規制していく為に、そのルールの数、それが増えていく、細部まで決めていくような、こうしなければならないという、そんなところまで決めていく、そんなことになっていく、そして、その規制が強くなり過ぎたとき、自縄自縛というか、身動きがとれない、というか、その規範の方、自分で判断するということが失われてしまって、その規範に従っていくという、機械的な生き方、そんなことに様変わりしてしまう、そう、何か、息苦しさ、そんなことに戸惑う、そして、そのルール、それをご破算にしてしまう、そのようなことの繰り返し、そのようなこと、その、自由意志というか、内側からのエネルギーの発散、そして、それを制御していくための枠組み、枠組みがなくても、その、生きるエネルギー、それが拡散していくだけのことで、そのようなことで、生きる力とはならない、強すぎれば、萎縮してしまう、何か、その二つのことの兼ね合い、原発の発電能力、そんなことと同じことなのではないかと、どのように制御していくのかという、定常的にエネルギーを取り出していくことが、どの程度の規制によって、そのことが可能なことになっていくのかどうか、そんなところがあるんだと思う、制御理論、そんなものがあったのかどうか、ただ、人の場合、原発と違うのは、外から受け容れていくという、そのことによって触発されていく、それがある、ただ、内側において核分裂を連鎖反応的に起こすということではないのだと思う、外からの因子、それが関連している、そんなことを思う。