『卒業の朝』

saikaku2006-04-30

題目の意味も分からない、何か配列が間違っているような気がする、場面構成も間違っているような気がする、どのように並び替えればいいのか分からないが、或いは、感動できる映画になっていたのではないかと思う、まあ、そのようなことがある、順番が異なっているために受ける感じが全然違ってくるというようなことが起こる、まあ、そのようなことはある、次のこと、『ねじまき鳥』は読み終えた、次の段階へ入っていく、その、読むことと書くこと、そのことを分離していくということができるのではないかと、そんなことを思う、それも、その本を読んだことによる副次的な効果であると、その、メモをとる、そして、そのメモを基にして書いていくということが基本的なこととしてあったと思う、読むことと書くこと、それをメモというモノを通して関連付けていく、そのようなことを基本的に、何の迷いということもなくて、そんなことを考えていた、そう、そんなことになっていたと思う、そのことを分離していく、書くということ、実は、このことは自己を通してのこと、どのような本を読んだのかということとは直接的な関連はなく、ただ、自己を通して、そのそこにあるところのことを表現していく、或いは、自己を読んでいく、そして、今、どのような状態にあるのか、そのことを表現していくということになっていく、その、間接的には関係している、確かに、そのことは、その、『ねじまき鳥』、この本を読んでよく分かる、確かに影響を受けている、そのことは間違いがない、ただ、その本の内容そのものということでもない、その本の内容そのものに沿って書いていくということになると、そのこと自体、その本に依存しているということになっていってしまう、自己を表現するということではなくて、そこには意識的なもの、理性的なものが働いてしまう、そのようなことではなくて、自己を読むということ、その手立てとして、このように書いていくということ、あくまでも、自己を対象としていくこと、そのようなこととして今書いていくということをしていく、そのように分離していくこと、本を読むときには、人の話を聞くように、そのことに徹していく、確かに、カウンセリングということを学習していく過程において、人の話を利くための修練を積んできていたと思うが、そのことを本を読むということにも応用していけばいいと思うが、でも、何か、異なってきている、散歩していて不図思う、物理現象を数式で表現するときは、基本的に指数関数である、高電圧の電線が曲線を描く、それも懸垂線という指数関数で表されるはず、では、天体の運動、或いは、物の運動というのは2次曲線なのか、本当は、それも指数関数なのではないかと、そして、その現実として2次曲線で近似できているという、そんなことではないかと、不図思う。