『と、いうはなし』

saikaku2006-05-02

何か、いろいろなことを考えているけれども、結局は元の形。基本形に戻っていく、作為的なことは止めて、元の形へ戻っていく、本を読むこと、或いは、人の話を聞いていくことにおいても、自分にとって印象深いこと、意味のあるところのことを書き留めていく、メモをしていく、それだけでいいと思う、何か客観的なことを書きとめていく、或いは、全体の構図を図式化していくとか、そのようなことを考えていたけれども、それも作為的であるという感じがする、そんなことよりも、もっと自分自身にとって意味のあるところのことを書き留めていくことの方がいいと思う、そのようなことができにくかったこと、一時的なことにせよ、そのようなことから離れていこうとしていたこと、それは自信をなくしていたということなのかと、そんなことを感じる、もっと、その、自己中心的なこととして、でも、また、その反動ということになっていくのかもしれないが、そのような間で揺れているという、そのようなことを繰り返していくのではないかと思う、その発端は、多分、物理の教科書を見てからのことではないかと思う、以前は力学のところ、或いは、運動学というところから始まっていた、今は、電気、或いは、光から始まっている、そして、電気の分野にしても、摩擦電気は出て来ない、なんだこの配列は!?、ということがあったのだと思う、以前の配列がベストだったと言うことではなくて、それに馴染んできているということでもなくて、でも、今の内容、そのことからは、どのように筋道を立てていくのか、そのことが見得て来ないという、そんなところを感じていたのだと思う、段階を踏んでいく、ひとつのことを理解していく、そして、そのことを踏み台にして、次の段階へ這入っていくということ、そのような積み重ねということが無視されていて、その、現代技術のことが総花的に紹介されているような、そんな内容に戸惑っていたということ、それがあったのだと思う、もう一度、そのことを点検していく、自分にとって、そのことを組み立て直していくこと、どのように進めていくことがいいのか、その配列を考えていくこと、そのことが必要なことだったんだと思う、問題は配列にある、という、そのことが気に掛かっていたんだと思う、そう、受け容れていくこと、そして、そのことを配列し直していく、組み替え直していくという、そんなことを行っているんだと思う、自然はこととして、脳の働きとして、何か、そのようなことによって、意味のあるところのこと、そんなことが生まれて来るのではないかと、そんなことを思う、或いは、このように書いているということも、経験したところのことを組み替えているのではないかと、夢を見るということも、そのようなことではないかと思う。