『弥勒の月』

saikaku2006-05-03

まあ、最後まで読んでしまったけど、その、宿命論に立っているのか、その人物描写について息苦しさを感じていた、闇の世界に生きていた者、そのものはいつまでも闇の世界でしか生きられない、という、そんな宿命論ということ、何か、今、必要なことは、そのような宿命論ではなくて、人間が変容できることを示していくこと、それが大事なことなんだと思う、一つの決まった形、それに従っていくのではなくて、その、変わっていけること、その道筋を示していくことが大事なことなんだと思う、『バッテリー』にしても、途中までしか読んでいないが、何か、登場人物がぎこちなく、それが若者だといってしまうのも何処かおかしく感じてしまうような、思春期だと、勝手に決めてしまっているような、そして、身動きが取れなくなってしまう、話の筋も、その展開も充分にできていかないような、そんなところがあったと思う、途中でやめてしまった、また、この本にしても、その犯人の脇役、ただ斬ることが好きな性格という、何か、もう限定されてしまっているような、そんなことになっている、他の人物にしても、もう、その役割が、その性格設定が決まってしまっている、もの柄理の展開の中で変容していくことが期待されない、そんなことになっている、そのようなことを、でも、思いながら、最後まで読んでいったのは、まあ、何か、期待を、これからのこととして、期待をもたせるところを感じていたのかと、そんなことを思う、そう、その、原理主義とか、そんなことが蔓延っている、また、靖国に絶対行くというか、或いは、それを絶対許さないというか、そんなところのこと、依怙地なところ、そんなところのことが蔓延っている、変わらないことを是とするようなところ、そんなことがある、寛容であること、それができるのかどうか、それがある、相手のことを受け容れていくこと、また、そのことによって、自分のこと、拘るということではなくて、自我ということをなくして、その、ありのままのところのこと、それを受け容れていくことが、多くのことを受け容れていくことができるのかどうか、そう、今の世界、そのようなところのこと、それが求められていると思う、基本的に人を殺めていく、ということではなくて、また、暴力的なことでもなくて、また、虐待ということでもなくて、ネグレクトということもなく、その、共生していくこと、誰であっても、その存在、或いは、その持っているところのこと、そのことを受け容れていくことができるような、そんな懐の深さ、そう、それが必要とされている、そんなことになっていると思う、自己のうちからのこととして、そう、変容していけるという、そんなところのこと、そのようなことが必要なんだと思う。