『自分の感受性くらい』

saikaku2006-05-05

新しいことを始めていこうかどうか、迷っている、多分前向きに考えていくのだろうが、もう一つ何かが足りないという気がしている、もう一つ乗り越えていくところの言葉が必要なのだという気がしている、新しいことを始めていくとき、その、躊躇することなく這入っていくということができる、そのようなことの方が確からしいという、そんなところがある、でも、まあ、始めていくのではないかと思う、また、継続していくのかどうか、そのようなこともある、また、新しい研修の機会ということもある、それにも参加していかなくてはいけないと言う、そんなことになってしまった、一度は、諦めていたことなのに、何故か、意向が生き残っていた、まあ、それに仕方がない、自分の生活のパタンが混乱している、連休明けのときから、新しいパタンを構築していく必要性に迫られている、そんなことになっている、忙しいといえば忙しくなる、でも、充実していくのではないかと思う、大きく、二つのことを勉強していかなくてはならない、また、自分自身のこととして、もっと本を読んでいくことも必要なことになっている、今、全然本を読むことをしていない、それもいらいらし始めているところのことになっている、その原因になっている、多くのことを知っていくこと、そして、感じているところのこと、受け留めているところのこと、事故のうちにおいて起こっているところの変容、それを表現していくということに、そのことが、基本的に自分の仕事としてある、そう、映画も観ていかなくてはならない、また、人の話を聞いていくこと、そのこともある、それぞれが独立したことではなくて、関連し合っているところのことがある、自己の内において、ひとつのことに集約されていくところがある、そんなことがあるのだと思う、自己を通して、その、井戸を掘り下げていくという作業、それが待っている、行っていくところのことを整理していった方がいいのか、また、何とか、充実してやっていけるのかどうか、その判断もしていくのかと、そんなことになっていくのかと、そう、連休が終わってからのこと、どのようになっていくのだろうかと、基本的に、このように書いていくことを忘れない、このところから始まっていく。