『よくわかるキリスト教』

saikaku2006-05-25

また時間配分のことを考えている、その時間帯に何を学習していこうかと、そのことを考えている、朝の時間、日経を通して世界の動き、それを知っていくということ、それは確定している、また、夜の時間、ファインマン物理学、その本を学習していくという、これもこれでいいと思う、落ち着いていくのではないかと思う、そう、そのように願う、昨日も読めていた、潮汐が二回起こることの原因は、地球と月の重心の位置が地球内部にあるという、そのことにあるとい確認していた、まあ、そう、これから学習できていくのではないかと、そう思う、そして、問題は、その昼の時間帯、本を読んでいくことになるかと思う、そして、それについて纏めていく、書いていくという、そのようなことをしていく、その時間帯、曜日によって、どう変えていくのか、そのことが巧くいくのかどうか、落ち着いたものにできるのかどうか、問題はそこにある、その、整合性、或いは、美的感覚、そんなところのこと、何か、ずれていると感じるところ、モノの配置、それがおかしい、少し動かしてみるという、そのようなことが人間の行動としてのことなんだと思う、源泉ということになっていくのだと思う、生活の、その時間割、それに悩んでいることも、どうしていこうかと、或いは、今まで、ファインマン物理、それが読めなかったという、その原因も、納まり所が悪い、そこにあったのだと思う、何か、その、しっくりと来ないところのこと、そこにあったのだと思う、そう、それも、全体を見ても整合性、そんなところのことだと思う、或いは、曼荼羅ということ、それになっていく、全体を配置していくこと、そして、それが納まりがいいこと、それを求めていく、或いは、目標としていくところは、何か、自分が納得するところのことを求めていく、そんなことなのでないかと思う、そして、それが、自分が見る視点、或いは、心の状態、それが決まったものではないということ、その、日々新しいものを受け容れていくという、そのことをしていけば、がさがさと揺られていく、そして、その、新しいもの、そのことをどう受け容れていくのか、そのことによって、全体の配置が少しずつ、或いは、収まりが悪ければ大きく揺すられる、そんなことになってしまう、でも、全体としての安定するところ、そのようなところを探し出していく、そんなことになっていく、人の話を聞かないということ、受け容れないということ、それは、結局は、全体が揺るぶられることを、今の仮の安定を壊したくないという、まあ、そんなことなのだろうと思う、でも、そのようなことではなくて、全体を見渡しても、自分のこと、全体を見て、その、安定点、それを探し出していくこと、時間配分についても、まだまだ、落ち着くところ、別にあると、また、新しいことを学習しようとすれば、変化していくことだろうと思う、でも、そのようなことが続いていく。