『神の発見』

saikaku2006-05-26

ラケットのガットが切れた、何か、まあ、不吉な感じてしていた、そう、巧くいきそうもないという、そんなところのことがあった、でも、いいところ、そのようなことの中で、いいところもある、そう、見落としてしまいそうなこと、それもある、まあ、そのようなことなのだろうと、どうなっていくのかと、また、どうにも、物理の学習を再開していくこと、ファインマン物理、その本のことが気に掛かっている、午後の時間、或いは、夜の時間、どうにも不規則なことになってしまって、そう、だから、午前中の時間、比較的安定している、その時間帯に移していこうかと、そのように考えている、まあ、どのようなことが安定しているのか、その安定点、それを探している、今、どうにもバランスを欠いている、そんな不安定な状態になっている、そう、そんなこと、このような中でも、また、キリスト教のことを読んでいる、そう、問題は、キリスト教のことではなくて、イエスの生き方、そのことにあるのかもしれないと、どうしても、人間は、規則、或いは、戒律、或いは、マニュアル、そんなことに頼ってしまう、一つのパタン、成功のパタン、或いは、勝利の方程式、そんなことに依存していく、そんなところがある、まあ、弱さ、そのことなのだろうと、何かに縋る、そのようなことになっていく、でも、本当は、その、自己の内において、信じるところのこと、自分自身を信頼していくことが、そのことができれば、そう、いいのだと思う、その、他力ということ、他者の力ということではなくて、自己の内に在って、自己を支えるものとして在って、でも、自己の領域からは離れているところのこと、そんなところのことなんだと思う、そう、そんなことなんだと思う、自己の深遠から湧き上がってくるところのもの、そのようなことだと思う、遍路転がしの道を往く、そのようなときにあって、自分の足で歩いていきながらでも、その、傍に居ると、同行していると感じられる存在のようなもの、それが他力、或いは、神の存在ということなのだろうと思う、或いは、全体性ということを統合していくものとしての存在、そんなことなのだろうと思う、それぞれの人間の中に、内に、その存在が居るということも、また、確かなこと、でも、現世的な律法に頼ってしまう、そんなことになっていく、そのようなことから言えば、ガットが切れたこと、ただ、それだけのことでしかないと、でも、そこに、何か、悪い意味を感じてしまうこと、でも、本当に悪い、不吉なことなのかどうか、それも分からない、表面的なことではなくて、その、本当のところのこと、それは分からない。