『寝ずの番』

saikaku2006-05-30

依存するということの、いちばんの問題は、自分の位置を見失っているということではないかと思う、自分が、今、何処に居るのか、今、行っていることが、自分にとってどのような意味を持っているのか、そのことが時として分からなくなる、そのようなとき、依存している、対象との位置関係、それによって、はっきりするのではないかという、そんな幻想を持つ、そう、それも幻想なんだと思う、対象としている、そのものが確りとしたものであるとは限らない、ただ、自分の思い込みとしてのこと、そのようなことであるという、そんな場合も多いのだと思う、或いは、確かなもの、それがあるということ自体も、幻想ということになるのかと、自分が何処に居るのか、今、何処を歩いているのか、その地図を持っているのかどうか、そして、何処へ向かおうとしているのか、そのことが確認できたとき、その、別に依存するということがなくても、ただ、自己に拠るという、そのようなことになっていく、指針を自己の内に持つ、そんなことになっていく、多分、このように書いていることの意味、自己を表現していくことの意味、繰り返し、同じことを書いていることの意味、それも、その、自己のうちに方向性を見出していこうとしている、そんなことなんだと思う、時間配分も、これで落ち着くことを期待している、シンプルな配分、それに戻している、そう、そんなことでいいと思う、そして、物理のこと、もう一度始めていく、それが、今、新しいこと、いちばんの目標であるのかもしれない、何処まで往くことができるのか、まあ、いろんなことを考えていく、そんなことになっていくのだと思う、本を読んでいくことにしても、家でのことにしていくということは、鞄に入れないということは、その継続性ということが確保されていくのではないかと思う、そう、一冊読み終える、そして、次の何を読むのか、そのことについて、選択肢が増えている、そう、そのようなことがある、関連していくところの本、それを読み継いでいくということになっていくと思う、そこに、一つの道が見えてくるのではないかと思う、そう、そんなこと、そのことは、自己の内のこと、そのことを共鳴し合っているところのことでもあると、まあ、このようなこととして進めていく、後は、その、自分の位置、それを見失わないように、どのようなことが起こっているのか、自己の内の変化、そのことを常にモニターしていくような、そんなことの為に、このように書き続けていく、そんなことになっていくと思う。