『ファンタジーを読む』

saikaku2006-05-31

時間配分を、また、大幅に変えた、早朝からのこと、読むということに当てていく、午前中いっぱい、読むということをしていく、ファインマン物理の本、日経、そして、一般の本というように、午前中は、そのように読み進んでいく、もう書くということは、細切れに書くということはしない、早朝に、いの一番に書くということもしない、そして、午後、先ず、正午からのこと、此処へ書いていくことから始めていく、午後の時間、もう、このようにPCに向かい合って書くということをしていく、そう、このようなこと、完全に二分していくということをしていく、このようなことでいいのではないかと思う、そう、今日のところは、読むということに集中していけている、昨日、書くということにおいても、集中していけていたと思う、このようなことで落ち着くことができるのかと、そのように願う、他だ、夜の時間の遣い方、書くということを続けていくのか、それとも別のことを考えていくのか、ただ、落ち着けないということがあるとしても、どのように遣っていくのか、そのことが少し課題として残っている、読むということ、書くということを、あっちへ遣りこっちへ持って来て、いろいろ、その配置を替えてみて、このようなことになってしまった、まあ、極めて明確なことになったのではないかと思う、そう、そんなことになったと思う、今までのこと、細分化されていたこと、そのことによって、その、心の切り替え、それが巧くいっていなかったのではないかという、そんな気がする、先ず、これで落ち着いていく、そして、このように長時間書くことを、書いていくことを通して、その、自己へのこと、そのことへ降りていくことができればいいのではないかと思う、或いは、イメージとして捉まえているところのこと、そのことを言葉にして表現していくこと、そのようなこと、右脳で感じているところのことを、左脳で翻訳していくということ、そんなことになっていけばいいと思う、それが実際のことかどうか分からないが、そのように、別の人格、そのようなものを仮定していくこと、或いは、存在していると、そのように理解していくこと、そして、その別の人格が、人格であるように、それ自体、自律性を持っているということ、そう、そのことと折り合っていくところのこと、或いは、その、全体としてのこと、自己を含めてのこととして、その、全体像を把握していくということ、そんなことができていけばいいと思う、まあ、とりあえず、このようなことで落ち着いていくことができるのかどうか、後は、実行できていくのかどうか、継続していくことができるのかどうか、それが問題になっていく。