『子どもの本を読む』3

saikaku2006-06-10

何か、目的が失われている、見失われている、そんな感じがしている、仕事場においても、過去からの惰性、そのようなことで進んできている、何か、新しいことを始めていく、その、全体の気持ちを前向きなこととして、そのように束ねていくところの目標、それが見失われている、まあ、それは経営者、その資質の問題ということになると思うが、何か、その、問題が頻発してきている、そう、全体の気持ち、それぞれのこととして、それぞれが自分個人のこととして、勝手なことを始めている、そんなことなんだと思う、また、その、一つの問題が起こったとしても、その責任から逃れていく、全責任を負うということではなくて、それを分散化してしまう、結局は、何処に、そのことの原因があったのか、そのことが解明されずに、そのまま残されてしまう、何か、だんだんと拙い、そんなことへ傾斜している、まあ、そう、これも仕方のないことといえば、そんなことになってしまう、どのようなこと、自分個人のこととしても、その、自分のできる範囲、或いは、それを少し超えてでも、その、企画、それを考えていくこと、自分で行動していくこと、まあ、そんなこともできるのではないかという、経営者が無策であれば、それも一つの契機、自分にとっての契機、そう捉えることもできる、そのようなこと、それが、また、個人の勝手な行動を助長していくことになるのか、何か、そのところの愉しみ、新しさ、そんなことを感じてもらえて、そのことが波及していくということになるのか、問題は、そのようなこととして他の人、周りの人に、受け留めてもらえる、或いは、受け留められる、そんな資質、それを持っているのかどうか、そのようなこと、でも、私自身は、そんなことを気にせずに、自分の遣りたいこと、これ幸いと、自分の考えるところのこと、それを実現化していく、そのようなことになっていくと思う、まあ、好機と考えている、自分自身のこと、もっともっと、そう、自己を表現していくことが、或いは、実現していくことが、そう、大事なこと、その、問題は、目標が見失われているということではなくて、自己が見失われている、そんなところにあると思う、過干渉でも見失われる、ネグレクトでも見失われる、そんなところのこと、そう、でも、ある適度の耐性はあるんだと、そう思う、どのようなことになっていくのか、もっともっと、自分自身は楽しく、そう、行動していくこと、或いは、関わりを、分かっている人間との関わりを深めていくこと、そう、そのような方向へ進んでいく。