『人形の家』

saikaku2006-06-20

先ず、自分の生き方、それを確立していくこと、それから始まる、それがなければ、安易に妥協していってしまうという、そんなことになっていく、存在の不安、それを抱えている、そう、誰しも自分だけのことに自信を持てるのかというと、そんなことはなくて、不安ということにかられている、それが普通のこと、自分だけのこと、独自な生き方、そのようなことには不安ということが付き纏っている、そのようなことにおいて、その、Xの存在ということが、そのものとの関係ということにおいて、自分の存在ということが確認されていけば、怖れく怖いものはなくなっていくのだと思う、そう、そんなことはなくなっていくのだと思う、でも、まあ、存在の不安、そんなことがある、そのことによって、依存していく、そんなことになっていく、或いは、自分の壁を崩してでも、相手に妥協をしていくということが、そのようなことが起こって来る、安易に妥協する、そんなところになっていく、人の話を聞いていく、そんな場面においても、その、自分の考えているところのことを押し付けていく、指示する言葉、それを投げ掛けていく、まあ、そのようなことも同じこと、指導と称して、そのようなことをしていく、人間は、その、他者を指導すること、それは、基本的にはできないと、或いは、教えていくこともできないと、自分自身で気づくところのこと、それがなければ、無理なことであると思う、基本的に思う、自分で気づくのかどうか、そのことが、どのような生き方をしていくのかという、その分水嶺になる、そんなことになっていく、指導していくということも、そのようなことも、結局は、自分についての存在の不安、そう、そんなところのこと、自分と同じ行動を強要していく、それも、自分の生き方の自信の持てないこと、だから、同志を増やそうとしている、そんなことになっていく、自分だけの生き方ということ、実存哲学への答、それはもう出ている、そう、後は、そのこと、Xとのかかわりということを実行していくだけのこと、まあ、それだけのことということが、難しいことなのかもしれないが、なんとかなるという、そんなことも思う、そう、多くのことを受け容れていく、いろんなことを受け容れていく、異質なことも受け容れていく、小さく守りに這入らない、そう、そのようなこと、そしてどうしていくのか、自己の内におけるところの変容、そのことを表現していく、まあ、そのようなことによって、だんだんと、近づいていけるという戦略、それは有効なものなのだろうかと。