『アンジェロ』

saikaku2006-06-21

自分の意見を換えない、信念を換えない、そのことが大事なことだとは思わない、何か、その、頑ななことが、人間としての魅力、それを失わしている、そんな気がする、そう、頑固であること、自分の生活習慣を換えない、そんなこともある、社民党の護憲のように、そんなこと、面白くないことになっている、人間としての魅力、何か、一つのことに打ち込んでいる、自分の仕事として、教会を修復していくという仕事に打ち込んでいく、でも、その過程において、一羽の鳩に出逢う、その出逢いによって、一途に修復をしていくということだけではなくて、その巣まで作っていく、遺作のように作っていく、そのような変化、些細なことであっても、同じようなことをしているみたいでも、何か、少しずつの変化、それが含まれている、或いは、そのようなことを、傷ついた鳩を受け容れていくところから、もう、そのような変化を、自分の生活上に起こる変化を受け容れていく、そのような柔軟性、或いは、融通が利くということが、人間としての面白さ、ということになっていくのだと思う、一つの信条を頑なに抱き続けていく、そんなことではなくて、そう、そのようなことではなくて、換えていくこと、そう、或いは、それよりも深く、自己に素直に従っていくという、そんなような生き方を実行していくということが、そう、何か、別のものを持っている、或いは、違ったものが顕れて来る可能性、それを有していること、そのことが大事なことなんだと思う、その、信条としてのこと、或いは、心情としてのこと、頑ななこと、それを持ち続けていくことの方が、世間の理解が得やすい、そんなところもある、そう、また、世間がそのようなことを強要、暗に強要しているところもある、取り扱いやすい、そんなところもある、却って、換えていくところを、心変わりとか、そんなことで非難していく、そんなところもある、でも、それも移ろいやすいこと、世間も、いつもいつも注目しているわけではない、ただ、一時の話題としてとりあげたに過ぎない、そんなこと、その、自分自身の生き方としてのこと、それを考えていくことの方が、そのことの方が、ずっと大事なことなんだと思う、差し戻されて、また続いていく、その、微妙にして大事なところ、傷ついた鳩の声、それが聴こえるのかどうか、或いは、微かな声、何処から来ているのか分からない、そのような声、それを聴き分けていくことができるのかどうか、そのようなところにある、そして、そのことが、蝶の一舞であっても、自分の生活の変化ということに、直結させていくことができるのかどうか、そんなところに大事なところがあると思う。