『風を見た少年』

saikaku2006-06-27

目に見えての悪人がいる、ただ、それだけの悪人がいる、でも、本当は、この主人公の少年こそが、本当の悪なのだと思う、況してや、その実体のない、目に見えない、善人であるかのように装っている、そのような悪であって、このような存在を、二コルが創造したのなら、小説を読んでいないが、これがその原作に忠実なものであるなら、非常な不快感を持って否定するような、後味の本当に悪いアニメ作品だと思う、その、全てのこと、遣るべきことは分かっているはずのこと、でも、それを遣ってはいないこと、職務怠慢と言ってもいいと思う、自分に帰って来ることを承知で、そのことを指摘していく、しかし、その、言っていることが伝わっていないということも、指摘しても、ただ、後手後手と事後処理を行っているということであって、その、事前の対策ということを考えていく、そのようなことにはなっていない、また、それを考えていくということにも、考えなければならないということにもなっていかない、ただ、腰掛程度のこととして、次のところへ移っていくという、そんな意識なのだろうかと、今まで通りのことを行っていけば、前例に倣っていけば、大過なく過ごせるという気持ちがあるのだろうと思う、そんなことを思う、まあ、そのようなことも仕方のないことなんだろうと思う、何処で気づくのか、いつそのようなことでは拙いということを悟るのか、まあ、相手本人の問題であって、今は、自分ができるところのこと、そのことを考えていく、ただ、自己を表現することが、先ず、第一条件として大事なことは分かっている、その次のこと、相手に対してのこと、或いは、人間関係においてのこと、その、何か広がっていくところのこと、だんだんと、その、人間関係ということを広げていく、或いは、深めていく、そのようなことがあると思う、その、全体に期待するということはしない、そのようなことではなくて、個々に人間関係について、それをどのように更に展開していくことができるのか、そのことからネットワークを広げていく、別に管理職がどう考えているのか、そんなことはいいと思う、その、組織としてのあり方、もう、それ自体が破綻しているから、組織構成それ自体が機能しなくなっているから、個々の能力に基づいて役割を決めているということを元からしていないから、それに期待することもしない、それぞれの持っているところのこと、その能力が発揮されるところのこと、それぞれが自己を表現していくことができるような雰囲気、或いは、話し合いの場、それをもっていけばいいのではないかと思う、昼夜問わず、そのような方向へ進んでいけばいいと思う、危機に瀕している、そのことが共有されるところから始まっていくと思う。