『列車に乗った男』

saikaku2006-07-02

枇杷の木を貰いに行く、スコップを持って掘り出しに行く、大きな石の傍に生えていた、その構図でもいいと感じた、あと、マンリョウも貰う、その後、登山用品を買いに行く、月末には富士山に登らなければならない、まあ、そのようなことになってしまった、でも、秘かに期待していたところでもある、初めてのこと、今年の一つの挑戦として、登る、また、これからも登山を続けていくことになるのかもしれないと、靴からレインコートまで、大体のモノを揃える、これも、これから役立っていくことになると思う、貰った枇杷の木とマンリョウを植える、その、気がついてみれば、というか、まあ、暗にそのように構想していたのかもしれないが、庭の木、今までいろんな木を植えたが、桜から始めて、桃、梅、柿、無花果ハナミズキオオデマリ、サクランボ、松、銀木犀、ブルーベリー、金木犀は元からあった、そのような木を植えた、そして、そこには、何か、軸ができている、縦、横、斜め、それぞれの軸が出来ている、そして、その軸の延長線上、或いは、交わるところに、次の木を植えていくということをしている、まあ、そのようなことになっている、自然に意図したものとして、そんなことになっている、まあ、どのようなことになっていくのか、と、少しずつの変化、それが起こっていくのだと思う、庭自体、それも変化していくこととして、そう、そんなこととして、図示すること、そのことにおいても、時間軸、そう、それも在る、この世界のこと、3次元の空間ということではなくて、4次元の時空間として考えていく、まあ、そのようなこと、図示するとき、時間軸を入れていくということを、そう、考えに入れていく、或いは、相対性理論ミンコフスキー空間によって図示できていくように、何か、本質的なこと、宇宙のことに関すること、或いは、変化ということを表すのに、ファインマンの図示の方法、そんなこともあったと思う、図で表すことができるということ、或いは、文章で表す、数式で表すということよりも、図示することの方が、その本質的なところのことを表現することができるのではないかという、そんな気がする、でも、その、文章で表現する、或いは、数式ということも、何か、細部のことについて、そのことを思考していくことにおいて、必要とされていく、そう、今、少し、その、図示することの意味と、文字で表現することの関連性、そのことを考えていきたいと、そんなことを思う、或いは、両方のこと、多分、その両方のことの関連性ということが、大事なことなんだと思う、そう、まあ、そのようなことになっていくのだろうと思う、今、このように考えていることも、文字によっている。