『いつまでそんな会議やってんの』

saikaku2006-07-04

図示することに集中しているが、少し疲れてきて、このように書いている、このように書くということも、また、楽しいことなのではないかと思う、そう、そんなことを思う、そう、だんだんと、図示することになれていくのかと思う、一つのポイントは、その流れを掴むことにあると思う、矢印で表されるところのこと、そのようなことを把握していくこと、そう、そして、その流れに沿って、どのようなことが起こって来ているのか、どんなふうな変化が起こって来ているのか、それを考えていくという、或いは、書き込んでいくということになっていく、そう、だんだんと、そのような方向へ進んでいくと思う、何か、自分独自の図の描き方ということを考えていく、そう、そのようなことになっていく、そのこと、何か、その、自分が納得するところまで、そう、そんなところまで描き続けていくということになっていくと思う、その、図を描くということ、全体を見ていくということ、それは、会議のあり方、そのことにも関連付けられていくと思う、会議がどうにも我慢のならないものになっていくのは、その方向性が失われていくとき、何処をどう議論しているのか、初めのことに戻ってしまったり、そんなときのこと、会議全体の方向性、或いは、鳥瞰図的に見る視点、それがなくなっているとき、迷走しているとき、どうにも我慢のならないものになってしまう、どのようにすればいいのかと、そこでも、結局は、流れているところのこと、それを出席者が共有しているのかどうかということにあると思う、その方向性を念頭において発言しているのかどうかということがあると思う、だから、そのことをホワイトボードに記していくことも、忘れないためには必要なことだと思う、常に今の位置、どのところにおいて議論しているのか、自分の考えているところのことを述べているのか、それを明らかにしていくこと、そんなことだと思う、それも全体の構図を描いていくということにおいて、共通している、でも、まあ、巧く会議が進んでいくということはないと思う、撹乱要因が常に存在している、余計に存在している、まあ、仕方のないことだと、繰り返し同じことを喋るという人も、結局は、自分の意見が聞いてもらっていないということに暗に気づいているわけで、一度、その意見を受け留める、しっかりと受け留める、そんなことも必要なことなのだろうと思う、だからといって、お喋りがそれで止まるというわけでもないと思うが、会議という場、それも、人間関係のことを束ねていく、意見を集約していく場、そんなことなんだと思う、そう、そのようなことで、問題点は同じである。