『家の鍵』

saikaku2006-07-10

生活時間を分割していくことに、何か問題が潜んでいるのではないかと思う、分割していくことによって、やる気まで分割されてしまうような、そんなところを感じる、分割することは、それだけで何か巧く進行していくような気分を齎す、でも、実際にはそのようなことにはならない、その気分だけを味わうということになってしまう、そんなことが多い、もう一度初心に還ることが必要なんではないかという気もしている、その、このように書いていくことを核心的なことにしていくことが、先ず、大事なことなのではないかと思う、読むことと書くこと、先ず、この二分法から間違っているのではないかと思う、あくまでも自己を表現していくことに重心を置いていくことが大事なことなのではないかと思う、このように書くために読んでいくということを鮮明にしていくということが大事なことなのではないかと思う、そう、自由に書いていくこと、自分の感じているところのことを表現していくこと、これを自分の生活の目標としていくこと、このことから始めていく、だから、早朝に起きる、先ず、書き始めていくこと、前日のこと、それまでのこと、また、夢見たことなど、今までのことを纏めていくということが、一日の生活を始めていく前のこととして、大事なことなのではないかと思う、そして、次のこととして、日経を読んでいく、或いは、本を読んでいく、受け容れていくということに、そう、そんなことになっていくのではないかと思う、もう一度、生活時間のあり方、タイムマネジメントということを考えていく、書くことを中心として考えていく、受け容れていくことは、その、自分自身の内側が整理されている、そんなことから可能なことになっていく、先日、部屋の中を整理している夢を見た、まあ、今の自分にとっても、そのようなことを必要としているのだと思う、そう、そのことを思う、障害児を受け容れていく、自分の家へ受け容れていくこと、そのための鍵というのは、家へ招き入れていくことの鍵、それは、自分自身の内側の問題が整理されているのかどうか、そのようなことがあると思う、何か隠されているところのこと、それが顕れて来る、どうしても顕在化してくるということになってしまう、その映画はよかった、ただ、その、自然なこととしてストーリが展開していく、そして、それぞれの思いというものが表明されていく、そんなことになっていく、ホテルの部屋の窓から、列車が行き交う風景が見えている、その場面も印象的なものだった、動的な外の動きとは対称的な、部屋の中での親子の交流という場の設定というものが、印象的だった。