『リトル・イタリーの恋』

saikaku2006-07-11

バランスのとれていること、対称性を持っていること、そのことの方が却って堅苦しい、そんなところがあるのだろうかと、人間について、世界について、そして、宇宙について、そのことを基にして自己を表現していくという、そのような道筋、何か、整っているようでいて、実際には動けない、そんなところがある、堅苦しく感じている、そんなとこがあるような、そんな気がする、正四面体、それをイメージしているとがある、そんなことが却って動けなくしているという、そんなこと、アンバランスの方が、揺れ戻しとして行動していくところがあるのではないかと思う、何か、生活の中で、積極的なこととして動いていくところのこと、その、宇宙のことに関連して、物理のことを再勉強していくことに熱意を持っているのかどうか、その、時間を作っていくこと、そのことの中で勉強していこうと、その、時間枠、それを考えているということ自体が、その、積極性に掛けているということなのではないかと思う、好きなことなら、そのような枠付けしなくても、自ずから行っている、そんなことだと思う、今、そのようなことになっているのは、高機能自閉症児のこと、その世界のことがどうなっているのか、そう、そんなところへ関心が向かっている、図書館で借りて来ている本を見ても、そんなことになっている、また、インターネットで調べる、そんなことにおいても、そう、そのようなことになっている、その方向へ向かっているということが分かる、そう、そんなことが、今、好きという言葉が適当なのかどうか、そう、でも、そのようなことを受け容れていく、その方向にあると思う、だから、そのことを、今、私の意向としてあるところのこと、そのことを受け容れていく、欲張らずに、その、バランスを保っていくということではなくて、そのようなことではなくて、敢えてバランスを壊していく、一時的なこととして壊していく、そう、そして、自然なこととしての揺れ戻し、それもあるのだと思う、そう、自分が意識しなくても、バランスをとるということ、そんなところのことは、自然と行われている、そのようなところがあると自己を信頼していくということ、それもある、基本的なこととして、午前中のこと、読んでいくこと、そのことに、午後、書くことに集中していく、そう、基本形へ戻っていく、そのようなことでいいと思う、そのところから始めていく、多くのことを欲張らない、今、自分の向かうところへ、そう、でも、それが難しい、何か、見栄ということが紛れ込んでくるのだろうかと、そんなことも思う、自然なところのこと、そのことでいいと思うが、それが、難しい。