『札束を焼く強盗』

saikaku2006-07-21

此の頃、その、心、という言葉に対して嫌悪感を感じている、もうこの言葉を遣いたくないという感じまでしている、何か、嫌なものを感じている、その、自己ということを表現していく、その為には、丁度、演算子に似たもの、或いは、キーワード、それが必要なんだと思う、何か、ヒントになる言葉、それによって喚起されてくる、そんなところのことを表現していくことができると思う、その言葉は、自己に働き掛けている、波動関数というものがあって、それに演算子を作用させることによって、意味のある量が導き出せるということに似て、事故に対してキーワード、それを作用させることによって、何か、自己の内にあるところのことが、一つの纏まったものとして、表現できるものとして顕れて来るような、そのような感じがする、それはあくまでも、自己に対して働き掛けていく、そのようなこととしてある、それに対して、自我ということ、それは、何か、宙に浮かんでいるような、不安定なものであって、何か、支え、それを必要としている、或いは、他者の自我を同列視していくような、自分と同じことを考えていると思いたがる、そんなところがある、そのようなことによって、自分だけではなくて、その自我の存在ということが肯定されていくような、そんなことを日々の支えとして、でも、それも、結局は、共同幻想のようなことであると思うが、でも、何らかの支え、それを必要としているには違いない、そう、そのような自我には拘らない、問題は、如何にして自己へ働き掛けていくのか、そのことにある、言い換えれば、その、如何にして、キーワード、自己を喚起させていくような、何か、有用なものを、一つの纏まったイメージを生じさせるものとして、そのようなものとして働き掛けていくのか、そのことがある、一つには、過去のことを思い出す、昨日のことを思い出す、その、過去演算子、それが一つ、また、反対に、未来演算子、どのような目標を持っていますか、その、目標という言葉、目的という言葉、そのことによっても喚起されてくるところのことがある、或いは、関連して、場所、空間演算子、それもあるのだと思う、他者演算子、それも大きいと、そんなことを思う、問題は、いずれにしても、自己ということであって、如何に自己に働き掛けていくかということであって、心という、曖昧な言葉ではない、そう、曖昧にされることでもない、何か、そんなところのことが、その、嫌悪感ということに繋がっていくのではないかと思う、今までも、なるべく遣いたくない、そんな方向にあったと思う、そう、そして、もう遣わない、と。