『腕を送る男』

saikaku2006-07-22

事に対して、その軽重を判断できず、その場でも即座の行動をとることができず、マニュアルどおりの進め方をするようなことが多い、仕事場では、そのように、臨機応変に対応していくことができない人間が目立つ、目立つというのは、そのような人間に限って、自分ではどうすればいいのか判断できないから、周りの人間にいろんな意見を聞いている、大声で聞いている、そんな場面が目立つ、事の軽重を判断する、そして、軽のとき、自分だけの対応で済ませておけばいいものを、型の嵌めていこうとする、周りの人間を巻き込んでいくこと、そして、その為の会議とか、時間の無駄ということも考慮していかないことになっていく、自分で判断できないというのは、判断できないということではなくて、その、過去に前例がないことが多い、過去の前例に従っていくということは、頭で判断していくということ、そんなこと、理性的にというほどのことでもないが、記憶の基づいて判断していくことをしていく、でも、それは自信のもてないことでもある、記憶が間違っているという怖れも感じるのだろうと思う、そう、そのようなことがあるのだろうと思う、また、そのような人の話は面白くないことが多い、記憶の基づいているということは、自分の、例えば、経験ということを話する、以前も聞いたことのある話になってしまう、そんなことになっている、その場のこと、今、どのような状態に居るのか、今、どんな気持ちでいるのか、その、今、ということを話題にしないで、過去のことを、何か、干からびたことを話題にしている、感情の抜けている、そう、気の抜けたビールを飲むという、そんなことに似ていると思う、そのこと、問題は、今、という場のこと、その状況を即座に把握できるのかどうかということにあると思う、その把握したところのこと、受信したところのことに基づいて、そのことをどう判断するのか、自我の段階ではなくて、自己の段階において、そのことを受け容れていく、そして、そのことについてどう対応していくのがベストなのか、それを決めていくという作業、それを行なっていけばいいのだと思う、対話をする、そんなことにおいても、自我が批判されたということになっていけば、衝突ということが起こる、でも、自己のおいて受け留めていけば、問題は、自我が非難されたということ、自分のことが否定されたということではなくて、どうして、今、相手はそんなことを言う気になったのだろうと、そんな問題意識に変わっていく、自分のことではなくて、相手のことに移る、そのようなことでいいのではないかと思う、何か、まだまだという、そんな気がしている。