「対話形式の読書へ」

saikaku2006-08-01

今までの遣り方を考え直して育児期に来ていると思う、読むことと書くことを分けて考えてきたこと、それを考え直していくことが必要なんだと思う、読むときメモをとっていく、そして、それを基にして書くということをしてきた、そのような遣り方を改めていく、基本的には、物理の本を読んでいくときのことを参考にする、一つひとつの文章を読んでいく、そして、そのときどきにおいて現れてくる問題、そのことを解いていきながら、どうしてそんなことになるのかと、その数式の展開は何処から生まれてくるのかと、そのような問題意識を持ちながら、そして、それを一つひとつ解決して行きながら読み進んでいく、そのようなこと、その、読むということと書くということを分けない、受け容れていくことと表現することを分けない、そのような関わり方、そんな読書の仕方があるのではないかと思う、対話形式のような読書の仕方があるのではないかと思う、そう、そのような方向へ変えていく、メモをとるということ、一時書き置くということはしない、そのようなことはしない、何か、その、一文に感じるところのことがあれば、そのことについて、その場において、じっくりと考えていく、それがどのような意味を持っているのか、自己に対してどのようなことを喚起させているのか、その場においてはっきりとさせていく、そのようなことでいいのではないかと思う、時間が掛かる、読むことにおいて時間が掛かる、そんなことになっていくのかもしれないが、後で、あのときのことは何だったのだろうかと、あやふやな記憶を辿るということよりは、ずっとか、いいのではないかと思う、そのような遣り方へ変えていく、そして、その、対話をするということを、そのような機会を増やしていきながら、その、自分の考えていること、それを纏めていく、だんだんと自分の感じているところのこと、そのことを纏めていく、厚みを増していく、そのようなことでいいのではないかと思う、更に、その、自己を、深く深く表現していくことができれば、そのようなことであれば、いいのではないかと思う、そう、そんなこと、お互いのこととして、そのようなことであれば、いいのではないかと思う、対話形式ということ、古代ギリシャの時代からあったこと、その、自分だけの考えを述べていくということではなくて、その、他者との対話ということにおいて、その、意識されていないところのことまで、その、自己からのこととして、発露してくるところのもの、それがあるのではないかと思う、そのような人間関係の基本的なところがあるのではないかと思う、何か、その、原点へ戻るような、そのようなつもりでいる。