『自閉症だったわたしへ』

saikaku2006-08-03

他者のことを非難していく、或いは、差別していく、そのようなことは何処から出て来るのだろうかと、単なる違いとして、そのようなこととして受け留めていくことができないのはどうしてなのだろうかと、そのことを思う、男女差別のことがある、単に、性別のこと、それを違っているというように受け留めていくことが、或いは、障害を持っている、そのようなことについても、違っているだけだと、そのように受け留めていく、ハンセン病エイズ、など、病気と言うことについても、単に、そのような病気に罹っている、或いは、罹ったと、そのように受け留めていくこと、生まれた場所が、ただ、数十メートル違っただけのことだと、そのように受け留めていくことが、どうしてできないのだろうかと、単なる違いだと、そう、その違いということを殊更に大きく言う、針小棒大に喧伝する、或いは、落差を設けていく、或いは、隔離をしていくという、そんなことに発展していく、そのようなことはどうして起こるのか、単なる違い、そのように受け留めていくのではなくて、その違いを大きな落差としてみていくところのこと、そのようなことはどうして起こるのかと、そんなことを考える、単なる違いとして受け留め、その違いを学んでいくということ、違っている相手のことを知っていくこと、そのような方向へ進んでいけば、別に何の問題も起こらない、でも、そうはならない、その違いをことさら強調していくということに進んでいく、それは、結局は、自分の存在ということを認めていくと言う、そのような意図が隠されているのではないかと思う、相手との違い、それを強調していく、その単なる違いということを大きな落差として見ていく、或いは、集団的なものとして、或いは、その違い、それを穢れているものとして、低いものとしてみていく、そこに、高低差を見ていく、そのようなことによって、自分の存在、人間としての価値、実質的には何もない、相手との比較によって、自分の存在ということを際立たせていくこと、そのようなことではないかと思う、ということは、自分自身の価値、自分の存在価値、それが、自分自身によって裏付けられている、他者の存在ということを貶めることなく、自分だけのこととして、その生き方に自信を持っている、そのようなことであれば、他者のこと、そのことを卑しめて行くこともなくなっていく、と思う、単なる違いを持っている、相手のことから学んでいく、そんなことになっていくと、そう思う、自分自身の生き方の問題としてあるのだと、そのようなことを思う、何か、同じようなことが、数十年間、話し合われている、同じことを繰り返している、そう、まだこれからも続いていくのだろうと思う、でも、まあ、そのようなことなのだと思う。