『自閉症だったわたしへ』3

saikaku2006-08-05

人との違いと言うことを論っていくのではなくて、その違いということを針小棒大に表現していくのでもなくて、その違っているということに自分の優位性ということを見取っていくということでもなくて、そのようなことではなくて、その違いから学んでいくということ、その違いと言うことを理解していくということ、そして、自分自身の生き方として、更に進んで、人と違うことをしていくこと、敢えて違うことをしていくということでなくても、そのようなことでなくても、その、ただ、自分にできるところのことを推し進めていく、そんなことでいいのではないかと思う、このような文章を書いている、そう、何も見ずに、ただ、このように書いていく、タイプをしていくということが、今の自分にはできるということ、思いつくままのこと、また、今は、その、日経を読みながら、或いは、本を読みながら、PCを前にして、そのときどきにおいて、感じるところのことを即座にこうしてタイプしているということをしている、そう、このようなこと、自分にしかできないことを行なっていく、そのようなことでどうなっていくのか、もっともっと、その自己を表現していくということを考えていく、そのことを目標にしていく、そのようなことでいいと思う、そう、自分の生き方としてのこと、人と違っていると言うことを気にしないで、ただ、自分の生き方、自分の行いたいことを推し進めていく、そんなことでいいと思う、また、今年も、四国へ行く、そのことが近づいてきている、去年は、第18番まで廻ったと思う、今年は、その次の松江寺、だったか、そこから始まっていく、そう、そのようなことも、自分のこととして、自分から行おうとしていることとして、別に、そう、違っていると言うことでもなくて、でも、j分のスタイルで歩いていく、ただ、歩くということになっていく、人と同じことをするのも詰まらない、敢えて違うことをすると言うことでもなくて、それも、他者のことを意識していると言うことであって、そのようなことではなくて、ただ、自分が行いたいところのこと、どうしてそんなことをするのかと、そのようなことを説明する必要もなく、ただ、自己からの衝動として、そのようなことを行っていると言うことであって、ただ、それだけのことであって、それでいいのではないかと思う、人それぞれの生き方ということがあって、そのようなことがあって、それから学んでいくということもある、その一方で、自分の生き方、それを推し進めていくこと、まあ、その二つのことも、連動していることではないかと思う。