『若き数学者のアメリカ』

saikaku2006-08-08

その、何か、間をとっていくというのか、人間関係においてのこととして、自分の生き方ということがある、どのように仕事をしていくのか、ということがある、また、他者のこと、その遣り方ということもある、そのようなこともある、それが異なるとき、或いは、自分はこうしようと思うという意向が強いとき、といっても、実は、それは、逆に弱いときなのかもしれないが、自信を持っていない、そんなときなのかもしれないが、相手に対して指導的な、指示的な言動を示していくことになる、そのようなことではなくて、指示を与えていくということではなくて、何か、全体のこととして、その、流れに任せていくということでもなくて、まあ、そのようなことになっていくのだが、でも、放っておくということでもなくて、そう、それは、瓦解してしまう、そんなことになってしまう、そのところのこと、何か、言い方が難しいところがあるが、その、目的意識、何を行うのか、どのようなことであればいいのか、その、目的意識が共通化している、そんなところがあれば、そう、行き着く先のこと、どのような常態になればいいのかという、その先のことが共通化してイメージされている、そのような基盤があれば、そう、放っておいても、というか、個々の動き、そのことに任せておいても大丈夫ということになっていく、些細なことの修正は必要なことになっていくが、大まかなところのこととしては、大丈夫、そんなことになっていくと思う、そして、事態は好転していくと思う、些細なことで指示を出すことは、却って不必要であるだけでなく、個々の動きを阻害していくことになっていく、そのようなことになっていく、そう、そのようなことも、結局は、他者のことを信頼していないということ、そんなことになっていってしまう、そう、そのようなことになっていくと思う、或いは、そのことは、自分だけのことについてもいえるかと、その、自分自身のこと、どのようなことを行っていくのか、どのように行っていくのか、そんなことも、自己の内のこと、そのことへ任せていく、丸投げをしているということではなくて、考えてはいる、頭でいろんなことを試行錯誤はしている、でも、最終的なところのこと、どうするのかということは、自己の内のこと、それに任せている、そのようなことをしている、自分で納得する、というか、自然と行動へ入っていけるようなこととして、そのようなこととして、考えている、まあ、そのようなことでいいのではないかと思う、慌てない、でも、まあ、集中しているところはあるのではないかという気はしている、そんなことになっている。