『自閉症の子どもたち』

saikaku2006-08-12

今年の四国遍路を始めていく、来週から始めていく、今回は、19番の立江寺から23番の薬王寺まで、そして、高知県へ少し入るところまで歩いていく、発心の場から修行の場へ、少し足を踏み入れるところまで、そこまで歩いていく、本格的な修行は来年に繋げていく、前には、今年、一気に室戸岬まで廻ってしまおうと計画していたが、それだと、もう数日日程が掛かってしまう、無理ということが分かった、急ぐことでもなくて、後数年掛けて全体を廻っていけばいいから、今年は、少し足を踏み入れるというところまでに留めて置く、そのようにしておく、それでいい、急ぐこともない、もう少し歩みをゆっくりとしていくことでいいと思う、そのときどきのこと、その場でのこと、何か得るところのことを確かめていきながら進んでいく、少しずつ進めていくということでいいと思う、そして、いろいろなことを考えていく、哲学ということでもなくて、そのときどきのこと、他者のこと、或いは、他のこと、そのことを理解していく、他者理解はどうして可能なのかといっても、そのことは、結局は、自己理解ということなのだと思う、自己を理解していくことにほかならない、そのようなことを思う、歩きながら、また、本を読むということにおいても、そのようなこと、そのときどきにおいて、自分自身がどのようなことを感じているのか、そのところから始まる、そして、そのことを記していく、即座に書いていくということをしていく、それでいいと思う、また、話し合っていくこと、出逢いということがあって、そのときどきのこととして、相手の話から、それも同じ、何を感じているのか、そのことを伝えていく、そのようなことをしていくのだと思う、そんなことになっていくのだと思う、そのようなことでいいと思う、これからのことを考えていく、自分自身の仕事として、その、他者のことを理解していくと同時に、特に、自閉症とか、その、自分とは異質な存在、それぞれが異質な存在ということになるが、際立っていること、そのようなところのこと、それを理解していくこと、そのことが、自己理解にも繋がっていく、そして、自己理解ということが、他者理解ということになっていく、そのようなことを仕事にしていくこと、まあ、どのようなことになっていくのか、或いは、お金の面のこと、生活が成り立っていくのかということもあるが、どのようなことになっていくのか、と、先ずは、修行の旅ということに赴く、少しずつ、このようなことになっていくのではないかと思う。