『レインマン』

saikaku2006-08-14

自分自身の生活のあり方が少し固定化していたような気がする、読む本にしても、その読み方ということにしても、何か、自分に気に入ったところのものに固定化していたのではないかと思う、そのような傾向が出て来ている、そのことは、表現していくこと、自己を表現していくことが、このように書いていくことが不足している、そのことに関連している、どうしても書く量が少なくなっていくと、受け容れていく量も減らしていくということになる、そう、そのように連動している、その、自分の立場、或いは、生き方ということを固定化して考えてしまうこと、そのような傾向ということは、特に、日本人には強いところがあるのかもしれない、その、人間関係の中で、自分の役割というものを固定化して考えてしまう、そんな傾向があると思う、その、神との契約もない、神との契約ということがあれば、それはそれで自分という生き方をもっと固定化していることになるが、日本においては、神仏との関係性も薄い、英霊というものもあるが、それに固定化されているというほどのこともない、何か、他の因子によって行動しているのではないかと思える、その、人間関係において、自分という存在を固定化して考えてしまう、自分は伝統を守っていくのだとかと、そんなことになってしまう、店の味を守っていくとか、そんなこともある、でも、自分という生き方をそのようなことに縛って考えていくのではなくて、もっと自由なこととして、或いは、自由に自己を表現していくものとして、そのようなこととして捉えていくことの方がいいのではないかと思う、会社だけに自分の存在預けていくということも、どうなんだろう、最近は少なくなっているのだろうかと、でも、まだ、上の年代では多いのかもしれない、何か、自殺者が多いということも、その、自分の存在のあり方、それを狭く、もうこのことだけというように、狭い視野でしか捉えら得ない、そんなとことに問題の根があるのではないかと思う、自己を表現していくことが少なくなっていくと、受け容れていくことも減っていく、自分の気に入ったところのこと、何か、理屈をつけて、そのようなものしか受け容れない、そんなことになっていってしまう、そう、そして、生き方の幅が狭くしてしまう、そんなことになっていってしまう、どのようなことを感じているのか、思っているのか、そのことを、その場で、即座に表現していける、そのようなことが必要なことなんだと思う、そう、そして、その為の表現手段を、自分自身のこととして、確立していくことが必要なことなんだと思う、そのようなことになっていく、そして、新しい関係性を受け容れていくということに、相手が自閉症の兄であっても、受け容れていくことができるという、そのようなことになっていく、今日からお四国へ。