『砂の器』

saikaku2006-08-22

毎日の体重の変化を量ることを日課にしていく、人間の生き方は、結局は、身体的なことにしても精神的なことにしても、受け容れていくことと表出していくことのバランスの上に成り立っている、食べ物についても、或いは、知識を取り入れていくということにしても、受けいけていく量が増える、そのことによって所有していくところが増えていく、体重が増えていく、また、多くの知識を持っている、雑学的な知識を持っている、そんなことを自慢にしていくという、そこに自分の存在感を持っていくという、そのような生き方もある、そう、でも、もう一つ、反対向きの生き方もあるのではないかと思う、受け容れていく量、それ以上のことを表現していくこと、そのように心得ていくこと、そんな生き方もあるのではないかと思う、個体としてのいき方ということではなくて、固体としての存在を増やしていくような生き方ではなくて、逆のこと、固体としての存在感を減らしていく、そして、その、受け容れたところのことによって惹起されるところのこと、他者との関係、或いは、他のものとに縁起によって惹き起こされていくところのこと、そして、それを表現していくこと、受け容れていく量よりも表現する量の方が多いこと、そのような生き方もあるのではないかと思う、その、少しのヒント、一つの言葉、それからも自己を多く表現していくことができるのではないかと思う、少しでも、自分が興味を持っているところのことへ向かっていく、そして、そのことについて、少しでも多くのこと、自己の内からのこととして表現していくことができるのではないかと思う、だんだんと痩せ細っていくような、そのような、だんだんと、その、消え入っていくような、或いは、入滅していくような、そのような生き方ができるのではないかと思う、抱え込んでいくような、少しでも多くのものを所有していくようなことではなくて、できるだけ表出していく、その方向での生き方ができるのではないかと思う、もう一度、此処へ書くということを再開していく、そして、少しでも多くのことを、少しでも多くの言葉を書いていけるように、そのようなことを考えていく、体重を量る、そのこと日課にしていくこと、少しでも、体重が減っていくように、また、皮下脂肪の割合も減じていくように、溜め込まないように、自己の内に残滓がないように、今までのこと、それを出していく、まあ、そのような生き方になっていくと思う。