『オシムの言葉』

saikaku2006-08-29

もっと賢くならなければいけないという気にさせられる、もっと人間性を深めていかなければいけないという気にさせられる、その祖国の状況が、哲学的な、また、深見のある人間へと育てていったということがあるのかもしれないが、それは、結局は付帯条件ということであって、もっと主体的な、本質的なところのこと、その、独りの人間としてのあり方ということが、基本的な条件としてあるのだと思う、もっと日本人としての特性ということ、或いは、独りの人間としての生き方の問題、それを深めていくことが、サッカーだけの、その日本代表だけの問題ではなくて、今の政治のこと、或いは、経済のこと、社会一般の状況ということについて、もっと賢くなければならないと思う、生活習慣病という言い方ではなくて、自己生活管理欠陥症とか、その、自分のこと、或いは、周囲の状況、全体の状態、それを把握していくこと、そして、自分の行動ということについて、どのように行動していかなければならないのか、どのように生活していかなければならないのか、それを判断していくということが、そのような全体の中での自分の生き方ということが問われていくのだと思う、天災は忘れたときにやってくるというのは、前の天災の記憶が薄れた頃、周期的に襲ってくるということではなくて、まさに、人間が忘れる、その、自然の動き、その中から危険を察知することを忘れるとき、何か、平穏な生活が約束されているような気になるとき、その、自然の変動ということが、天災として人間の社会生活を破壊するということなんだと思う、そのようなこと、ヘッドホーンをつけて外の音を遮断している者もいる、周りの状況に無頓着に居眠りしているものも居る、自分で判断できずに、言われたままに行動する人間も居る、そのようなことではなくて、賢くなるということは、その、自分の生き方について、自分の観察したところのこと、そのところからリスクというものを感知し、或いは、より積極的に行動できるところのものを探り当て、そして、自分の判断に基づいて、行動していける、そのようなことなのだと思う、そう、何か、若者の問題、いろいろな社会的な問題が起こる、それについても、根本的なところは、大人の問題、大人の世代、団塊の世代が賢くあったのかどうか、そのようなことなのだと思う、そう、もっともっと勉強していくことが、学習していくことが、その、生き方に関わるところのこと、無駄な知識、そのときどきだけに必要とされるような、実用的な知識、それはそのときどきに調べればいい、もっと、基本的なところのこと、本質的なことについての学習ということが、今、必要なんだと思う。