『ハイジ』

saikaku2006-08-31

もうみんなと一緒ということではなくて、護送船団方式ということではなくて、赤信号、みんなが渡れば怖くないということでもなくて、自分はどうしていくのか、どのように考えていくのか、そして、どう行動していくのか、そのようなことが問われている、その、自分自身の行動についての透明性ということも問われている、内部だけで操作をしていくということしても、何処からそのことが漏れていく、情報化社会ということは、そのようなことが起こる社会であるという、隠し事はできないということになっていく、北のように厳格な情報管理を行っても、上空から見られているということにもなっている、発表以上のことも見られているのだろうと思う、そして、個性的なこと、自己の内からのこと、常に新しいことを創造していくことが求められている、そう、そんなことなのだと思う、自分はどのような生き方をしていくのか、そのことを自分自身の問題として考えていくことが求められている、でも、人間の常のこととして、何か、決まっていることがあれば、マニュアルがあれば、前例があれば、ということを考えてしまう、今頃去年はどのようなことをしていたのだろうかと、そんなことを参考にしていくという、そんなことになってしまう、一時代前、歴史には法則があるとか、そのようなことも言われていた、その法則に従って歴史が恰も動いていくかのような、そして、それに沿って、人間としての生き方が在るという、そんなことが言われていた、その、法則に忠実であるということ、そして、内部規律とか、そんなことも形成していく、人間としての生き方がだんだんと息苦しいものとなっていく、そんなことがある、左や右というのは、結局は、そのような、何か律しされている人間の集団ということなのではないかと、自分で判断するということよりは、何か、その規律に従っているかのような、そのような人間の集団なのではないかと思う、左でもなく右でもなく、また、その真ん中という曖昧なことでもなくて、そのような軸ということに囚われない、そのような生き方ということを想定していく、その原点というのは、勿論自己の内に含まれていると思う、そう、そして、どのように軸というものを想定していくのか、多元的な方向へ伸びる、そのようなことでいいのではないかと思う、今、私は何をしようとしているのか、そのことによって、軸のあり方も替わってきている、一方向だけということではなくて、それは、同じ陥穽に入り込んでしまう、ただ、自己の内からのこととして、そのときどきのこととしての軸を想定していくということになるのではないかと思う。