『オシムの言葉』2

saikaku2006-09-01

相手から学んでいくということに大事な点があると思う、それは、それぞれのこと、それぞれの生き方が違っているということ、それぞれが個性的であるということ、そのことに基づいている、そのような見方が出来るということは、その基本として、自分自身が個性的な生き方をしている、また、その自由さを持っている、自分自身の生き方ということが自分だけのことであるから、他者に対しても、それぞれの個性的な生き方をしていると見ていくことが出来る、そのようなことだと思う、逆に言えば、自分自身が皆と同じような生き方を、他者に同調しているようない生き方をしている、或いは、協調性とかを声高に言うような生き方をしていると、他者に対しても、自分と同じようなことを求めていく、そんなことになってしまうのではないかと思う、みな同じにということ、どうにもそのような感性が働いてしまう、一律扱っていくことの方が便利であるという、そのことの方が効率的であるという、そんな考え方も働いている、そんな気がする、個性ということ、それぞれの人間の持っている個性を固定的に見ていくのではなくて、個性を創り出していくという見方ができないものかと思う、人間の理性の働く方向にはパタン化していくようなところがあると思う、或いは、行動においてはマニュアル化していくところがあると思う、或いは、全体としてシステム化していくところがあると思う、そのようなことではなくて、物事の始まりを常に人間においていく、或いは、自己の内においていく、その、纏まりのつかない状態、混沌としている状態においていく、しかし、そのときどきのこととして、一つの道が混沌としている中から見えて来る、そして、一時的にシステムが創られる、自己を表現していくこととしてそれが創られる、そして、それに乗ってシステムが稼動していく、そして、巧く進展していく、でも、いつまでもそのシステムが巧くいくという保証はない、その、自己のうちからのエネルギーが枯渇してしまうとき、ただ、そのシステムは残っていく、そして、それで巧くやってこれたのだから惰性でそのことを続けていこうとする、そのようなことになっていく、問題はそのようなところにある、もう一度、人それぞれの個性の違いを認めていく、そのことは自分自身も違っているということが基本的にある、それぞれの違いを認めていくということがある、そして、自分だけの生き方を求めていく、でも、行き詰ったとき、他者空学んでいくことが必要なことになっていく、そして、その既存の、いつの間にか出来上がっていたシステムを変更していくこと、自分の生き方を変えていくこと、みんなと同じということではなくて、あくまでも自分自身の生き方を求めていくという、そんなことになっていくのだと思う。