『下流上等』

saikaku2006-09-06

何かが違っているのだと感じている、今までのようなことではなくて、何かが違っている、自分から動き出していくことが、先ず、その、最初の一歩、それを踏み出していくことから始めていかなくてはいけないのだと思う、何か、そのことに臆している、そんなところが見受けられる、自分から積極的に進めていく、職を探していく、そのようなことならいいと思う、でも、そのようなことではなくて、今までの失敗した経験ということが隠されているのかもしれないが、積極的になるということに臆病であると感じる、そう、そんなところを感じる、そして、自分ということ、自分の能力、それを高めていくことが、先ず、自分を変えていくことが、その次に必要なことなんだと、それに気づいていく、そのような段階を踏んでいく、勉強していくことが大事なことなんだという、今までの自分でいいと思い込んでいるところのこと、自分にはできないと信じ込んでいるところのこと、そのところから変えていく、自分から始めていかなくてはどうにもならない、道が開けてこない、そのようなところに気づいていく、それが大事なことなんだと思う、でも、何か、そのようなことになってしまっているのかもしれない、日本の社会構造が二極化しているということは、自立ということが言われているとしても、下流社会においては自立させない、その意気を抜いていく、思い込ませていく、そのようなことが行われているのではないかという、そんな気がしている、教育の場においても、或いは、社会全体のこととしても、そのような圧力というのか、そのような雰囲気というのか、そんなことが広がっているのかもしれない、そして、個人の問題として、個人の責任として片付けられていってしまう、本を読む、そのとき、何か、惹かれる文に出逢う、映画を観る、気に入った映画に出逢う、写真を見る、釘付けになってしまう光景を其処に観る、そう、何か、そんなことが起こる、その、どうにも惹き付けられてしまうところのこと、そのような対象に出逢う、そのようなとき、その、共鳴しているとでも言うような、外と内、その対象と自己、それが共鳴しているということになっている、そのとき、それが自己を識る手掛かり、そんなことを示している、そのようなことなんだと思う、自己を識っていく手掛かりを与えてくれている、そんなことになっている、そのところから、自己を識っていく、そして、それを表現していく、更に実現化していく、そんなふうに進んでいくのだと思う、そう、そのようなことから始めていく、どうしても、その、自立をしていくということが、個人の問題として、責任として課せられてくることは避けられないことだから。