『佐賀のがばいばあちゃん』

saikaku2006-09-19

活動を続けていくこと、或いは、創造を続けていくこと、そのことが生命体の本質であって、新しいものを創り出していく、そのようなこと、宇宙においても、人間の生き方にしても、そのようなことが停滞していくとき、死ということになる、自己の内において、その、何か、このように言葉が浮かんで来る、そして、それを書き留めていくことをしていく、そう、表現活動をしていく、これを続けていく、無駄な言葉であるとしても、それを書き留めていく、まあ、そのようなことの中に、新しいところも含まれているのだろうと期待しながら、宇宙空間においても、新しい星が生まれている、そう、そのような活動をしている、また、もう終わってしまっているところ、中性子星とかブラックホールとか、そのようなことだらけになってしまえば、もう、宇宙の終焉ということになるのだろうと、活動を続けていくということ、そのことが生きているということの証、そのようなことを思う、…それほど、「がばい」という感じはしなかった、まあ、ある程度、始末がいいということ、そのようなことなのだろうと思う、…この頃、サッカーの試合をTVで見ていて、その、リプレイが煩わしく感じる、非常に煩わしい、ゴールでもなんでもないシュートシーンでも、繰り返しリプレイする、そして、その間にも試合が展開している、そう、でも、同じように繰り返される、まあ、そのように習慣付けられているということ、何か、マニュアル化されているということなんだろうと思う、そのようなことも、一つ、停滞していくことの原因になっていく、今、日本のサッカー自体が、新しく変わっているのではないかという、そんなことになっていると思う、まあ、全体が靡いているというところもあるのかもしれないが、まあ、それはそれとして、その状況に応じてTV局自体も変化していくということが必要なんだと思う、何か、その、新しい視点ということが得られていくこと、そのことは、昔にあったところのことであるのかもしれないと、がばいと思われているところのことであるのかと、いろいろなことを合わせていく、そして、そのところから、何か新しいものが生まれてくること、そのようなことになっていけばいいと、何か、その、ヒントが得られる、そのようなところがあるのかもしれないと、自分自身の生き方のことを考えていく、平日においては、多分、もっと本を読んでいくと言子とになっていくと思う、そして、自己からのことを書いていく、あるいは、人の話を聞いていく、休日においては、庭仕事ということを本格的に行っていく、或いは、映画を観る、ということになっていくのではないかと思う、まあ、そのようなことになっていく。