『見えてきた宇宙の神秘』

saikaku2006-09-20

今の世界の状況をどのように見ていけばいいのかと思う、暴力が容認されているように見える、一方的なこととして、攻撃していく、そのようなことが行われている、また、それに対しての報復も行われている、そう、暴力の連鎖という罠へ嵌っていくような事態になっている、でも、その、破滅的な事態へ陥ることなく、或いは、踏みとどまっているという言い方がいいのかどうか、或いは、そこには、何か、深遠な、打算的な動きということもあるのかと、そう、それぞれの思惑、或いは、その歴史的なこと、そんなところのことも含まれているのだろうかと思う、ある一つの発言が、抗議行動を引き起こす、そのことが過熱化していく、そして、その事態が、その発言の正しさを証明しているという皮肉なことも起こる、今の世界の状況というのは、権力者が発言すること、その内容と、実際の行動との乖離、それが大き過ぎることなのだろうかと、或いは、その、発言すること自体が信じられなくなっている、その言葉自体が信じられなくなっている、そのようなことなのだろうかと思う、どのようなことを考えているのか、そのことを言葉を通して伝えるという活動ということの意義が低下している、そして、流言飛語が生まれて来る、そんなところがあるのかと、バベルの塔が完成しなかったような自体、世界平和ということが、その塔の完成ということを意味しているのなら、到底無理ということなのかもしれないが、しかし、望みとして、ある程度までは完成させておくことも出来たのではないかと思う、言葉の復権ということ、それが出来るのかどうか、でも、その、世界が破滅にまで至らないということ、一方では情報が行き交っているということが、食い止めるという働きをしているのかと、もっともっと、情報を発信していくことが、戦争を防ぐということになっていくのかと、どうなんだろうかと思う、或いは、塔という狭い空間でのことではなくて、もっと広い世界があるということ、狭い利益のことだけを考えていくということではなくて、もっと違ったところがあるという、広いところがあるという、そのような意識が、新しい人間の活動ということを創造していくのかもしれないと、そんなことも思う、そう、どのようなことになっていくのか、でも、急激な破滅ということが起こらないとしても、緩慢な破滅への道はできている、そう、それは間違いなく、緩慢とはいえない事態に立ち至るのかもしれない、どのようなことになっていくのか。