『空海とアインシュタイン』2

saikaku2006-09-21

今の時代のことをどのように考えていけばいいのだろうかと、人間にとって生きやすい時代なのだろうか、それとも生き難いときなのだろうかと、その、子どもの現状ということを見ていくとき、その人間性というものが、或いは、子どもだけとは限らないのかもしれないが、どうも、固定化されてしまっているような、そんなところを感じる、自分は出来ない人間なのだと思い込んでしまっているところ、頭が悪いと決めてしまっている、そんなところ、そして、転身を図る、今の状況を変えていくという、そのような意欲に掛けている、それは、本人の意志の問題なのだと、そのように指摘するのはたやすいけれども、でも、そのような方向へ動き出してはいかないというか、いけないというか、そんなところのことを感じる、今の生活を変えていくための学習ということには向かっていかない、その手前で立ち止まってしまう、そんなところのこと、自分のという人間の能力を狭く狭く捉えてしまっている、何か、そのように、思い込まされてきているような、催眠術でもないのだろうが、出来ないできないと吹聴されてきているようなところ、吹き込まれてきているところ、そんなところがあるのではないかという、そんなことを感じる、或いは、失敗したことが、一度の失敗体験がしみこんでしまっているということなのかと、どうなんだろう、今の時代、個人として、その人格というところまで、何か、決められてしまっていくような、そんなところ、ある宗教は暴力を容認しているとか、そのような言動もそれを固定化していくような、そんなところのこと、柔軟性ということに欠けているところがあるのだろうかと、人間の心理について、或いは、宇宙の真理、それについて深くまで分かってきているような、そんな学問としての進展があるとしても、何か、人間性ということの理解については、狭く限定されていくような、狭く定義されていくような、そのようなアンバランスがあるのではないかという、或いは、家庭から国家へいたる人間集団、その規模に関わらず、その体制を維持していくという目的が貫徹しているのかと、見かけの自由という、物質文明ということではありながら、どうなんだろうか、今は生き難い時代のような気がする、この本、一言でいえば、竜頭蛇尾、まあ、仕方のないことだと思う、題名には惹かれるが、そんなところ、後は、自分自身の問題としていく、自分の生き方ということが、それが観得て来たような気がする、そんなところがあるから、まあ、そのことだけでもよかったのかと、そう、自分が作ってしまっている、その殻を破っていくことが、と考えると、結局は、自分自身の問題に還元されてしまうのか。