『空海 般若心経の秘密を読み解く』

saikaku2006-09-26

また、失敗している、同じことを繰り返している、もっと自由に本を読んでいけばいいのに、どうしても、そのことを型に嵌めてしまう、或いは、分類をしてしまう、そんなことになってしまっている、型に嵌める、そのようなことをついついしてしまっている、そして、その自由度を奪っている、何か、自由に、もっともっと自由に本を読んでいくということを怖れているかのように、型に嵌める、そんなことになってしまっている、そして、その、堅苦しさ、そのことの中で、そのようなことに陥ってしまっている状況のなかで、更に、生活のリズムを乱すようなことになっていく、そう、そんなことになっていく、もう一度、というか、何回も繰り返して、そのところのこと、自分で確認して行くことが、そう、そのことが必要なんだと思う、その、自分の仕事として、本を読むとか人の話を聞くとか、そのようなことではなくて、あくまでも、その、自己を表現していくこと、今、この時間に、早朝の時間に、このように書いていくこと、そう、このことなんだと思う、もう一回、昼の時間にも、書いていくこと、そのことなんだと思う、その、自己を表現していく為のこととして、受け容れていくこと、そう、本を読むとかの行為がある、その順番、それが倒置されてしまうところ、そのところから始まる、そう、自己を表現することよりも、本を読むということの方が目的化してしまう、そんなことになっていく、どうしても、型、或いは、殻、それを作ってしまうところがある、そして、もがくということになっていく、まあ、そのようなところのこと、分かっているつもりであっても、そうなってしまう、そのようなことに落ち込んでしまう、その、型を作るということ、型に嵌り込んでしまうということ、そのことの基は、自意識ということに在るのだろうかと、他者に対して説明しやすいというところ、分類することによって、自分は何処にいるのか、何をしているのか、そのことの説明がし易いということになっているのだろうかと思う、問題はそのところのこと、何か、自分のことを説明する、分からしめる、そんなところの気持ちが作用しているような、そう、そんなところのことなんだろうかと、自意識というところから離れていくということに、そう、そんなところのこと、その為のこととして、もっと、その、自己を表現していくところのこと、或いは、これについても、自己、というところ、それから、少しずつ、掘り下げていくという、もう少し、沈潜していくということが、そう、そのようなことが出来るのかもしれないと、そんなことを思う。