『生命の海 <空海>』2

saikaku2006-09-28

その、即身成仏するとか、或いは、最高の自覚とか、或いは、その仏性ということ、それはどのようなことなのかと、そのようなことに思いを馳せる、それへの道筋、というか、その周囲のことについては、そう、多くのことが書かれてある、でも、その核心的なところのこと、それそのものについてのこと、そのことが書かれてないという、そんなことを思う、もどかしく思う、でも、書けないのかと、言葉にしていくことが出来ないのかと、そんなことも思う、或いは、このように、今、このように書いていること自体、この行為しているということ自体が、そのような状態に近づいていくことを意味しているのかと、何か、そのもどかしさ、でも、分かっているところのこと、そんなところのことがある、後は、その、実践していくだけのことなのではないかという、言葉を変えて、それへ至る道筋、段階を踏んでいくこととか、そんなところのことが、そう、書かれてある、でも、その、最後のところのこと、その転換、それについては記述されていない、そう、できないという、言葉としての限界ということが、そのようなところにあるのだろうと思う、ただ、このように書いていくという、表現していくという、そして、だんだんと、まあ、少しずつ、削っていくような、岩盤を掘削していくような、そんなことなのだろうかと、或いは、その、自己の核心のところには、銀河系の中心にもブラックホールがあるのではないかという予測、それと同じく、その、核心にもブラックホールに似たものがあって、そして、あらゆるものが吸い込まれている、そのもの自体について表現することはできなくて、それを表現するという言葉、或いは、その手段そのものも吸い込まれてしまっていくようなことであって、ただ、そのときに出て来る僅かな電波を捉えていくということしか出来ないという、まあ、そんなことではないかと、このように書くしかないということ自体、そのようなことになっているのではないかと思う、例え、或いは、比喩を用いていく、或いは、象徴的なところのこと、それによって表していく、そんなことしか出来ないのではないかと思う、まあ、後は、そう、このようなこと、自己を通して顕れて来るところの言葉、それを掬い上げていく、そして、このようにタイプしていくという、まあ、そんなことなのだろうと思う、そのようなことによって、だんだんと、その、最高の自覚、というのか、或いは、最深の自覚、そのようなことへ、少しずつ、そう、本当に、阿僧祇、ということになってしまうのかもしれないが、何処かで、相転移、或いは、転回、ということを期待している、まあ、このようなことを続けていく。