『君とボクの虹色の世界』

saikaku2006-10-02

月曜日になると、もう一度生活を立て直す、そんなことをしている、もう一度、どのようなことでいいのかと、どのような生活をしていくのかと、そのことを思い出していく、或いは、新しく遣り直していく、まあ、そんなことなのではないかと、そして、何か、その、より力を入れていくところのこと、より集中していくところのこと、それはなんなのか、そのことについて考えていく、本を読んでいくこと、そして、このように書くこと、タイプしていくこと、そう、このことに力を入れていくということになっていくと思う、何か、自分はこうすると、そのように決めてしまうこと、我武者羅に突き進んでいくこと、短期目標ということを掲げ、それに邁進していくこと、そのことがいいのかどうかということも迷っている、余りにも、自分の意向ということが、意志ということが強いとき、却って、それが挫折したときのこと、脆くなってしまう、もう他の方法、他の道を考えられなくなってしまっている、そして、変革を続けていくということもなくなっていく、いい加減なこと、曖昧なこと、そして、箍が外れてくるという、そんなことになっていく、周りのことを見ていくこと、そう、そしてそのことも受け入れていくこと、何か、その、情勢の変化ということ、それも考慮に入れていく、そんなことも、でも、自分の意思ということも、何をしていくのかという、そんなところのこと、内からのこと、そして、外からのこと、そのようなことの兼ね合いということになるのだろうかと、そのようなこと、柔軟性と堅固さ、そのようなところのことになっていくのだろうと思う、その、自己のこと、その本当のところのことを表現していくこと、最澄も、その、泰範への手紙、その煩悩に溢れている手紙において、信実なところのことを表現できていたのではないかと思う、先ず、そのところのことが、そう、自己への入り口ということになっていくのだろうと思う、そのようなことなんだと思う、自己の内において生じてくるところのこと、いろんなこと、善悪、好悪、そんな相反することも、全部のこととして、そのことを受け容れていくこと、或いは、表現するということによって、そのことを浄化していくということにもなっていくのではないかと思う、そんなところのこと、そして、だんだんと、その、真実なところのことへ、そんなところのことへ近づいていく、そう、遠くにある、仏教界の専売特許ではなくて、その、自己の内にあること、そのことから始めていく、ただ、日々の生活の有り様は、何回月曜日を迎えても、そのところから始まっていく。