『生命の海 <空海>』4

saikaku2006-10-03

人間の生き方には、大きく2つの方向があるのだろうと思う、或いは、上昇志向と下降志向、その2つがあると思う、或いは、そのどちらでもない、という、迷っている状態も含めれば、3つか、その、上昇志向、或いは、権力志向という在り方、それがある、だんだんと権力の高見を目指していく、そのようなことでなくても、簡単なことは、他者に対して指示を与えていくこと、命令していくこと、自分の言動に他者を従わせていこうとすること、そんなこと、教師にもそのような志向がある、おそらく、人に共通しているところのことだと思う、そして、その権力志向ということは、多分、自分自身に弱さ、そのことの裏返しのことなんだと思う、自分に対して、その自信が持てない、基本的なところにおいて自信が持てない、そのようなことの顕れであると思う、その自信のなさ、そのことを他者を従わせることによって、他者が従うという姿を見て、自分の正しさを証明されたのだと思い込んでいく、そのようなことなのだと思う、その基礎において、自分の有り様に対しての自信が持てない、そのようなところのことがある、原理主義的なことに傾いていく、それもそうなんだと、今の時代、そのようなところのことが多過ぎる、その、何かに依存していく、何か、その、確かなものを求めていく、そう、そのようなことになっている、そして、暴力と破壊ということが日常的なことになっている、確かなもの、自分の生き方を基礎付けてくれるものを、それを外に求めていこうとしている、人間関係において、そのことを求めていこうとしている、新興宗教にのめり込んでいくことも、何か、そこに確かなものがありそうだという予感を抱いているのだろうと思う、そのようなこと、それも、結局は、物質文明の齎したものかもしれない、外部からのもの、そのことによって、恰も生活が豊かになったような、電化製品が身動きできないほどに溢れていても、そのことの方が何か幸せであるという錯覚に生きているような、そんなこと、外へ求めていくという、そのようなこと、或いは、神の存在ということも、外のもの、他者としての存在、そのことがある、何か、その、他者性ということ、そして、闘争していくということ、今、そのようなことが多過ぎる、その、基本的なところのこと、その大本のところのことの価値の転換ということが起こらなければ、おそらく、だんだんと世界は消耗戦、或いは、環境破壊だけが積み残されていく、そんなことになっていくのだろうと思う、その価値の転換ということ、或いは、方向性の転換ということを、空海の存在に見ることができないかと、ただ、空海を外の人間としてみてしまえば同じこと、そうではなくて、内の存在としてみていくこと、そのようなところから始めていく。