『心の深みへ』

saikaku2006-10-05

一つひとつのことに拘らない、そのようなこと、全体の構図、それを見ていく、そのことの中で、一つひとつのことがどのようなポジションを占めているのか、そして、一つのことが動く、そのことの影響が、その全体の構図をどのように変えていくのか、そのことを見ていく、一つひとつのことには拘らない、常に、全体のことをみていく、そんなあり方でいいのだろうと思う、一冊の本を読んでいく、その著者の考えているところのこと、その表現されたところのことを読み取っていく、それが、そして、自分に対して、自己に対して、どのような変化を起こしているのか、それが全体のどのように波及して行っているのか、そのことを見ていく、そして、それを落ち着かせていく、新しい段階のこととして、そのことを落ち着かせていく、このように書いていること自体、自己を表現していくということ自体、その、落ち着かせていくということを目的としている、そんなことなんだと思う、消化している、そのように言ってもいいと思う、そして、実際のこととして、全体が、どのように変化しているのか、そのこと自体を、その、経過ではなくて、その方法論ではなくて、そんなことではなくて、直截的なこととして、その変化ということ、それを表現していくこと、その、曼荼羅が動くという、そのことを表現していくこと、そう、空海自身、本当に密教を識っていたのかどうか、そのことの疑問、それがある、そう、それに至る道筋、そのことは知っていたのだろうと思う、しかし、そのもの自体、それについて識っていたのかどうか、多分、識っていたのだろうと思う、そのことが言葉では表現できないという、そんなことであったのかと、或いは、真言ということ、それそのもの、それがどうだったのか、落ち着いていくところのこと、生活時間として、落ち着いていくこと、或いは、もっともっと、その、無駄な言葉、そのことが必要なことなのだと思う、そう、そんなことになっていくと思う、そう、そんなことになっていく、いろんなことができるという、そんな可能性に溺れていくということも起こる、そう、一つのことに絞っていくということ、そう、生活時間、できるだけシンプルなものに、そんなことにしていきたいと思う、そのことに中から、複雑なものを盛り込んでいくということ、逆ではなくて、そう、そんなことではなくて、その、生活そのものを複雑にしていくということもない、その、全体としてのこと、その、シンプルなものの中へ、複雑なこと、或いは、猥雑なこと、そのようなことを盛り込んでいればいいのではないかという、そのようなことを想定する、自分の生き方のこととして、そんなことを考えていく。