『おこった月』

saikaku2006-10-10

多くのことを盛り込み過ぎること、それは、言い換えれば、何か一つでも相手に対して、或いは、観客に対してヒットすればいいという、そのようなことなのではないかと、多くのことを提示していくこと、その中で、何か気に入ってもらえるところのことがあるのだろうと、そのようなこと、その、阿るというほどのことでなくても、依存していくところのこと、結局、常識的なところに落ち着いていく、その、自分だけの世界というもの、単独の世界を構築していくということが、そのことが邦画ではできないという、そんなところのことがある、ただ、アニメの世界、それは、本当に特異な世界を作り出していると思う、そんな気がする、自分だけのこととして、問題は、自分だけのこと、その、依存していくということから、如何に離れていくのかと、或いは、人の役に立つとか、社会の役に立つとか、そのようなことを安易には言わないように、結果として、そのようなことになっていくとしても、先ず、その、自立しているということが先にあって、自分の世界が、或いは、常識的なところを超えている、或いは、非日常のこと、その、新しいもの、そのような視点を提供しているということが、結果として、人の役に立っていくという、社会に貢献していくということであって、そのことが先に来れば、依存関係を深めていくというだけのこと、或いは、共依存関係ということになっていくだけ、或いは、負の依存関係として、差別していくという、人間関係が縺れていくということになっていく、まあ、そのようなところから離れていく、ただ、自分のこととして、生き方の問題として、そのようなことを考えていく、しかし、まあ、邦画だけのことではなくて、その、洋画においても、娯楽作品というのも、そんなところがある、何か、その、選別していくということが大事なことなのかと、その、独自の世界、それを構築しているところのこと、そのようなものを受け容れていく、そう、そんなことになっていくのではないかと思う、映画にしても、そして、本にしても、その、受け容れていくということにおいては、何か、その、特徴のあるところのこと、そのようなこと、そして、それを、自己の内に位置づけていくという、そんなことが、私の仕事ということになっていくのではないかと思う、特異なものを発見していくということ、そんなこと、街中においても、トマソン物件を発見していくこと、そのようなことも共通していることなのではないかと思う、まあ、何か、そんなところで落ち着いていく。