『ダヴィンチ・コード』

saikaku2006-10-12

割り当てを決められていくのではなくて、自由に行動していくという旨のことを会議の席で発言してから、また、実際にそのようなことを始めてから、その、何か、恐れというものを感じていたところもあったけれど、でも、それも克服してから、何とかなっていくということがわかってから、その、大きく変わってきているという、そんなところがある、そう、そんなところがあると思う、会議の席では、もう、発言はしなくなっている、その、よく発現するものの話、それを聞いていても、それだけのこととして、また喋っているということで、そのままに聞き流している、そのことについて批判するという気も起こってこない、ただ、実際のこととして、何をしているのか、そんなところのこと、発現するということではなくて、実際にどんな行動を起こしているのか、そんなところへ観点が移ってしまっている、そのことは、管理職に対しても同じことになっている、問題は、その、言っている内容ということではなくて、そのことを如何に実現化しているのか、その、自分の言ったことに基づいて、如何に行動しているのかという、そんなところを見ていくという、そんなことになっている、そして、そんなことによって、ただ、言っている、或いは、発現すること自体に行動するということを、そのことを含めている、それは、まあ、言い換えれば、単なる言い訳、そう、そんなところのことに過ぎない、そう、そのようなこと、何か、怖れというもの、それが根底にあるのだと思う、そう、何か、不測の事態が起こる、それについてどう対処していけばいいのかという、そんなところまで考えてしまう、そして、結局は、そのことについてこう考えているということ、それを発現していくということが、そのまま、言い訳として、そんなこととして聞こえてしまう、そう、問題は、その、怖れ、それを如何にして、克服していくのか、という、でも、まあ、克服ということ、そう、それは、自分自身のこととして、或いは、そのところのこと、いろんな様相を秘めているということなのかもしれない、ただ、自分自身の問題として、そのことを、先ず、その、怖れを抱いているということを直視していくこと自体も怖れている、そんなところのことかもしれない、それを認めること自体を怖れている、まあ、複雑なこと、そんなこと、ただ、私は、もう、何か、一つの方向へ、進んでいる、と、そんなことになっている、そのようなことでいいのではないかと、全体のこととして、生活全体のこととして、その、纏めていくことができればいいのではないかと思う、そう、ただ、その、実際のことを確かなことにしていくという、そのことが次の課題。