『狩人と犬,最後の旅』

saikaku2006-10-13

一つ違和感を持ったところのこと、狩人の存在意義、それを生態系を守る、自分たちは極北の地の生態系を守っているのだと、そのように語り合っていた場面があった、最後の二人になってしまったのか、そして、まだ、その狩人としての立場、あり方を続けていくのかという、そんなところでのこと、その存在意義について、そのようなこと、なんだか、それは、物凄く奢っているような、そんな感じを受けた、その、生態系全体を見ることができるのかという、その、神の視点というものにも匹敵するような、そんな立場に立っているのかと、その、生態系を守る、一種の動物だけが繁殖していかないように調節しているという、でも、結局は、場面によって、獲り易い動物を獲っている、或いは、毛皮の売買で収入を得ているように、高額の毛皮を持つ動物を獲る、そんな経済活動を結局は行っているのであって、そう、生態系を守っているというところへ自分らの存在意義を託けているような、何か、まあ、言い訳がましい、そんなところが気になった、そのようなことであれば、直ちに、日本の捕鯨も許される、商業捕鯨であるとしても、そのような目的があるのだと、そう、そのように言えば、同じことになってしまう、美しい自然、或いは、香料とした自然、氷河の上を滑っていくシーンとか、まあ、映像として見飽きない、そんなところもあった、そのようなところ、そう、確かに、そのような映像を見ている、それだけは、素晴らしいものであったが、でも、その中での人間の営みとしてのこと、何か、卑近ということではなくて、その生き方は偽っているところ、それがあるように思う、人間としても、その、一つの動物としてのこと、全体を見る視点、自分は全体を見ているのだという、そのような奢りに立っていけば、実際に遣っていることが観得なくなっていく、そのようなことなんだと思う、その、細部のこと、自分自身が行っていること、その些細なことの中にも、その、全体性、それが宿っているということ、身体を作っている、一つひとつの細胞の核の中にも、全身の情報としてのDNAが存在しているということ、そのようなこと、自分から離れて全体を見ていくという、自分から離れていくのではなくて、あくまでも、自己を掘り下げていく、或いは、研鑽していく、そんなことの中に、裏返しで、全体性が観得て来るという、そのようなことなんだと思う、そう、そんなことなんだと思う、そのようなこと、そのような方向性、それが確かなことなのだと思う、そう、予告編を見る限りにおいては、犬との友情みたいなところのことなのか、そう、そんなところを期待していたが、何か、ひんやりと白けた気分が残ってしまった。