『ダ・ヴィンチ・コード』2

saikaku2006-10-14

どうしても、自縄自縛の罠、それに嵌っていくところがある、自分の行動ということを自分で制約していくところのことがある、何か、枠を狭くしていけば、集中していけるという、或いは、自動的にそんなことになっていくというような、そんなところのこと、何か、その、保証されているというところ、自分にはそんなところがあるという、まあ、自惚れということ、それがある、でも、そのことに縋るということは、逆にいえば、行き詰まりを感じているということでもあると思う、その、自己を表現するということにおいて、十分に為されていない、もっと、その、深いところのことがあるんだとか、そんなところ、明確には自覚されていない、でも感づいているという、そんなところのことがあるのだと思う、そう、結局は、自己について、その、無自覚なところのことについて、光を与えていくというか、言葉を与えていくというか、そう、そんなこと、光ということと言葉、それが同義語のような、そんな働きをするようなこと、それが必要なことなんだと思う、今、その、一週間の生活、それをステップアップする切っ掛けを得ている、そう、そのようなことが出来るのかどうか、いつもなら、この時間、土曜日のこの時間、寝ていると思う、そう、今も、この時間も、こうして書いていくということ、それができていく、そう、もっと、その、本を読む、人の話を聞いていく、いろんなこと、受け容れていくということをしていって、そして、表現する、言葉にしていくということを、そう、そのことを繰り返していく、単純なサイクルと繰り返していく、そう、そんなこと、ただし、その、大枠を決めていくだけのことで、細部にわたっては決めない、それを決めてしまうと、行き詰っているところがあるという、そんなこと、大枠の中で、そして、繰り返していく、そのような過程において、何か、自分だけのこと、或いは、自分というものも通り越したところのでのこと、自分だけの世界というか、それを構築していくことができるのではないかという、そんなところのことを思う、そのこと、自己を通してのこと、そのことから、俗名というのか、それを超えて、その、犀角という、この名前に達していくことも出来るのではないかと、本来のところ、この日記の意図するところへ、目標とするところへ近づいていくことが出来るのではないかという、そんなことを思う、そう、螺旋階段を下りていくように、読むと書く、聞くと話す、その単純な繰り返しによって、一歩ずつのこと、少しずつ、その、何か、核心と思えるようなところへ降りていくことが出来るのではないかと、まあ、そんなことを予想している。