『ふたりきりの戦争』

saikaku2006-10-19

以前構想していたことに近づいている、4冊の本、それを鞄に入れていく、哲学のこと、宇宙に関すること、図書館から借りている本、そして、その他の本、そのような構成に落ち着いている、それを読んでいく、1冊の本を読み終えるということでもなくて、その呪縛からも離れて、時間枠の中で1冊の本に集中していくということ、そんな読み方をしている、そして、書いていく、自己を表現していくという、そんなことでいいと思う、そのようなこと、自己を表現していくということは、その、空生ということに近づいていくことだ、自分で思っている、何もない、そんなところまでいければいいと、でも、まあ、ある程度のところまで、その、本を読んで、或いは、他のことを受け容れて、その、喚起されているところのイメージ、それを表現し尽くしていくこと、そのようなことをしていく、そんなことによって、意識の世界においては、まあ、何もない、そんなこと、でも、負の世界においては、エネルギーが充満しているというような、そんな状態になっている、そんなことでいいと思う、そのようなことが空性だと感じている、そして、その先のこと、それがないのではないかと、空性に至るところまで、そのことについては、そう、いろんなことが書かれている、でも、その先のこと、空ということになれば、もう、表現するところのこともない、でも、まだ、その先のこと、それがあるのではないかと、そう、そんなことを思っている、或いは、思っていた、そう、何もないんだと、そう気づく、もう、そうなれば、後は、還って来る、そのことだけのことだと、そこで、その、人の話を聞くということが、そのことが重要性を帯びてくる、そう、今までは、その、人の話を聞くということも、本を読むということと同列なこととして、そんなこととして捉えていた、そんなふうに考えていた、でも、そうではなくて、その、空性ということ、そのとき、人の話を聞いていく、多分、もう、そのままに聞いていく、そんなことをしていく、ただ、聞いていくということになると思う、そう、それを聞いて指示をしていくとか、指導をしていくとか、それは間違っているからこうすればいいと教えていくとか、そんなことはしない、教えていくということはしない、ただ、聞くということだけ、その相手にも、機根ということが備わっていると、そのようなことを前提にしていく、そう、それでいいと思う、そのようなこと、そして、そのことが、また、現実的なことになっていくのも不思議なことだとおもう、それでいいと、そう、そのように示されたような、そんな気がする、回向するとか、或いは、功徳を積むとか、御経の中でしか聞いたことのない言葉の、その、線香臭さを払拭して、自分のこれからの生き方の半面とする、まあ、そんなことになっていく。